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愛媛県史 社会経済2 農林水産(昭和60年3月31日発行)

第五節 内水面種苗放流


 アユ放流

 アユの人工ふ化放流事業は大正一一年より開始されているが、昭和一〇年当時は毎年肱川に二〇〇万粒以上のふ化放流が継続して行なわれていたほか、アユ稚魚の放流は愛媛・高知両県協定によって、毎年高知県より約一四万尾の移殖が行なわれていた。また県水産会は仁淀川・蒼社川・立岩川・石手川などにびわ湖産小鮎及び周桑郡・新居郡下の海産稚鮎約九万尾を年々継続的に移殖放流している。
 戦後は国庫補助金の交付を受け昭和二八年までは国庫補助事業により、二九年から四一年までは国からの県営委託事業として放流事業が継続されたが、その後は国庫委託費は全国的に打ち切られ、県単独補助事業として毎年県下の主要河川への放流が続けられている。

 マス放流

 昭和八年度より県水産会が事業主体となって秋田県田沢湖産のブラウンマス卵五万粒を取り寄せ、松山市内の湧水池、薬師寺池にてふ化飼育を実施したが、翌九年の夏に池水が枯渇し全滅した。そこで同九年三月青森県虹鱒卵三万五、〇〇〇粒を取り寄せ、石手川筋の岩堰にてふ化させたが、不意の落水のため石手川に流出のうえ、河川の旱ばつに会いすべてへい死した。
 本県における試験的ニジマス放流は同じく県水産会が昭和一一年栃木県産虹鱒卵六万粒を取り寄せ、柳谷村落出の仮ふ化場でふ化した稚魚約五万尾を面河川で放流したのが最初であるが、本格的な放流は翌一二年長野県産の一三万粒を購入ふ化した年からである。
 マス類のうちアマゴの河川放流が行なわれたのはごく最近の昭和四六年に面河川へ六、〇〇〇尾放流しだのが最初で、地元東川、川ノ子川の親魚から採卵ふ化した四~五㎝の稚魚であった。

 その他の放流

 アユ・マス類以外ではウナギ・コイ・フナを主体に、昭和五七年からは面河川・広見川でウグイが、広見川でカニの放流が行なわれるようになった。漁業法では内水面における第五種共同漁業権の免許については河川放流事業などの増殖が必須条件とされているところから、各河川の漁業権者である漁業協同組合は増殖義務に相当の経費を投入して水産資源の保護に努めているが、県もこれに対し毎年助成しているほか、この面での増殖技術指導に注力している。


表7-8 昭和58年度漁業協同組合別種苗放流数

表7-8 昭和58年度漁業協同組合別種苗放流数


表7-9 内水面種苗放流事業(国費、県費補助関係)

表7-9 内水面種苗放流事業(国費、県費補助関係)