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愛媛県史 社会経済2 農林水産(昭和60年3月31日発行)

一 藩政時代のノリ養殖


 ノリ養殖の起こり

 浅海養殖業の中にあって、日本におけるノリ養殖の歴史は最も古いが、ひび建による養殖の起源はさだかでない。伝えられるところによると、浅草ノリは品川、大森でとれたものを、浅草に運んで製品としていたといわれ、最初に浅草の弥平が品川の漁場にひびを建て込んだのは、江戸時代中期の享保二年(一七一七)で、同末年にはノリ抄きが開始されたようである。瀬戸内海では安芸国江波村の柳屋又七が、宝暦二年(一七五二)にノリひび建を考案したといわれている。

 愛媛ノリ養殖の起こり

 本県のノリ養殖は天然ノリの主産地であった西条地先海面が起源である。西条藩の禎瑞方役所の記録によれば、藩政時代西条藩ではこの豊富なノリ資源に着目して、これを養殖することを企図し、天保一二年(一八四一)当時漁業の先進地でもあった黒島浦から文次というものを家族とともに招き寄せ、禎瑞の産山に寄留させ、女竹ひびによるノリ養殖とノリ抄きの仕事に従事せしめた。藩ではこれに必要な施設資金に対し、融資の途を構ずるなどの助成を行ない、その見返りとして毎年運上金二〇〇匁と道具損料として二〇匁の計二二〇匁を納入せしめることとした。しかし、当時は養殖技術も非科学的な幼稚なものであったため、不作が相次ぎわずか四年程度で失敗に終わり、その後ノリ養殖は明治時代に至るまで途絶した。