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愛媛県史 社会経済2 農林水産(昭和60年3月31日発行)

三 漁業経営体数・専業率


 経営体数の推移

 漁業戸数または漁業経営体数の推移については表3-4に示したとおり、大正元年に比べ大正中頃乃至昭和初期にかけて漁業戸数は約二倍に増加した。漁業経営体数は昭和二四年の九、六五七から、五三年の九、四〇四に至るまで若干の減少をみたもののほとんど増減はない。しかしながら、経営体の内容は大きく変化した。昭和二九年と五三年との比較で象徴されるように、漁船漁業においては釣り・延縄・地びき網・船びき網・敷網等が減少した。この主な理由は、釣り・延縄では高級魚の資源量の減少に伴う単位当たり漁獲努力量の減少があげられるが、これは他の沿岸漁業との競合によるところが少なくない。地びき網の減少原因は労働力の確保が困難なことに加え、船びき網・まき網等の高能率漁法が普及したことによるものであり、敷網については四つ張網からまき網への転換による漁法の近代化が進んだための減少である。
 この反面経営体が増加したものには、底びき網令刺網漁業があげられる。小型機船底びき網漁業は知事の許可枠が行政的に決められているのでこの動向に支配されるが、沿岸漁業における中核的な基幹漁業としての地位は最近特に高くなってきた。刺網の増加については漁船の近代化や漁網のナイロン普及率の向上から、操業漁場範囲が拡大したことが主な原因である。しかしながら、漁船漁業経営体数減少の最大要因は何といっても、真珠母貝・はまち・真珠・のりなどの浅海養殖の伸展である。

 専業率の推移

 昔から昭和二〇年の前半までは、わが国の産業も第一次産業中心の時代であった関係から、漁業専業率も五〇%にも達するほど非常に高かった。
 昭和二〇年後半以降、特に三〇年代は第二次・第三次産業が日本の高度成長に支えられて、急伸展した時代であり、漁業・農業などの第一次産業からの労働力が大幅にこれらの成長産業へ流出したため、専業率は下がり昭和二九年にはわずか一八%になった。しかし昭和四〇年代後半より最近に至って再び専業率は少し高くなり、昭和五三年には三〇%にまで回復した。これはまき網・小型機船底びき網・刺網その他全般的に漁業装備の近代化や、漁船の大型化により漁家経済が向上したことと、魚類養殖、真珠養殖などの専業経営を不可欠とする浅海養殖が急速に発展したことなどが要因といえよう。


表3-4 漁業戸数・漁業経営体数の推移

表3-4 漁業戸数・漁業経営体数の推移


図3-2 借区人・漁業経営体数の推移

図3-2 借区人・漁業経営体数の推移