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愛媛県史 社会経済1 農林水産(昭和61年1月31日発行)

二 家畜防疫制度と衛生施設の変遷


  1 家畜防疫制度の変遷

 本県における家畜防疫は明治六年の牛疫防疫にはじまり、明治一九年「獣類伝染病予防規則」が初めて公布され、さらに同二二年に規則の一部改正に伴う「獣類伝染病予防心得」が公布され、現行家畜伝染病予防法の基礎がつくられ、内容が整備された。
 明治二九年「獣疫予防法」の公布されると共に酪農の発達につれて、明治三四年には「畜牛結核予防法」が制定され同三六年から施行されることとなった。
 やがて、家畜防疫事情の変遷に伴い獣疫予防法の全面改正が進められ、大正一一年四月一〇日法律第二九号をもって「家畜伝染病予防法」が公布され、防疫制度も格段の充実を加えることとなった。
 そして同法は昭和二年、同一〇年に一部改正が行われ、戦後を迎え同二三年には大改正が、さら同二六年には全面的な改正が、三〇年にはふそ病が加えられ、同四六年にも一部の改正が行われ、最近では五〇年に一部改正されるなど多くの部分改正があって現行法となっている。


  2 家畜保健衛生施設の変遷

 戦前における家畜衛生の末端組織は、主要疾病別に専任技術員を設け、これを県及び団体に配置する形態がとられてきた。そして戦後においては農業会などの旧団体は解散させられ、さきの専任技術員はそのよりどころを失うことになった。しかし急速な畜産の復興は一刻も停滞は許されないので、昭和二三年度から地方衛生機能の再建をはかるべく、全国五〇〇か所を目標に毎年一〇〇か所の家畜保健衛生施設が設置されることとなった。
 県下では昭和二四年に松山に人工授精所と合わせた施設が設置され、翌二五年三月一八日法律第一二号をもって「家畜保健衛生所法」が公布、同四月一日から施行され、同年愛媛県家畜保健衛生所条例を制定して先ず松山、丹原、八幡浜の三家畜保健衛生所が開設され、次いで二六~二七年で旧郡単位を管轄区域とする家畜保健衛生所(久万のみ松山の支所として開設し二九年独立)が発足、その後、畜産の主産地化が進行、多頭羽飼育の進展から、人員、設備などの効率化を図ることの必要から広域家畜保健衛生所への再編整備をはかるべく、国の家畜保健衛生所整備方針にそい、昭和四〇年からおおむね五か年をもって、計画的に統合を中心とする県家畜保健衛生所整備計画を策定し、四〇年に先ず松山・郡中を合併して中央家畜保健衛生所に再編、以後新築、増築などを推進し、昭和四五年四月一日県内一一家畜保健衛生所を上表3-24のとおり広域化に再編整備すると共に一部指導奨励業務を担当することにした。
 なお四七年四月一日から行政区域の都合などにより中央家畜保健衛生所の管轄区域であった喜多郡・大洲市は、八幡浜家畜保健衛生所管轄区域に移管編入されて現在に至っているが、再編後一層施設も整備充実されて、地域における家畜衛生センターとして、家畜衛生の管理と技術を広く農家の庭先に直結する機能を発揮して、その要望に応えている。その一例として宇和島家畜保健衛生所の昭和五九年「七月行事予定表」を上表3-25に記述しておく。






表3-24 広域家畜保健衛生所再編整備状況

表3-24 広域家畜保健衛生所再編整備状況


表3-25 家畜保健衛生所の業務 (例)

表3-25 家畜保健衛生所の業務 (例)