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愛媛県史 社会経済1 農林水産(昭和61年1月31日発行)

四 流通飼料の概要


  1 明治・大正時代

 明治時代の畜産は農家における小規模経営が主体であったので、牛は野草や稲わら、豚は残飯や厨芥、鶏は縁の下で残飯、糠、粃などに青菜をきざんで混与するといった原始的な飼い方であったが、馬には、米麦糠、麦類、乾草などが優先的に給与されていた。
 その後飼養規模が少しずつ大きくなるにつれて自家生産飼料では不足するようになり、米麦糠、ふすまや魚粕、大豆粕を購入配合して給与するようになり次第に飼料商が現れるようになった。
 そして、濃厚飼料の購入は専業養鶏家が主で、大規模養鶏では飼料商と契約したり、飼料商を兼ねる者も現れるようになり、神戸の鳥久が最初の一万羽養鶏を始め、養鶏家数人と共に「日本家畜飼料株式会社」を設立してわが国の飼料工場の第一号となった。
 大正時代に入ると政府の畜産奨励も次第に本格化してきて小規模ながらも各地で、いわゆる畜産経営が行われるようになり飼料の需要も次第に増加してきた。
 ことに第一次世界大戦後は機械製粉が急速に発達したために「ふすま」が増産されるようになり、また油粕やいも糠の利用が奨励された。
 大正中期以降は畜産の発達も順調で、飼料の需要も次第に増加して、国内産の飼料原料だけでは不足するようになってきたため、小麦・粟・こうりゃん・とうもろこしなどを当時の満州や朝鮮から輸入する業者も出てきたが輸入関税の関係で余り活発には行われなかった。
 当時鶏卵の輸入関税が撤廃され、安い支那卵が盛んに輸入されたため、一時養鶏経営は危機にさらされたが大正一三年関税が復活されて、輸入卵の脅威を脱し、養鶏振興対策と相まって飼料の需要も増し輸入飼料も年々増加した。昭和二年保税工場法が公布され、法に基づいて製造された配合飼料は無税とされたため、飼料輸入に一層拍車をかける結果となった。


  2 昭和初斯・戦時統制時代

 昭和初期は農業も極度の恐慌に襲われ、さらに一二年日中戦争の勃発から戦時非常時態に入った。一三年「飼料輸入制限規則」、「飼料配給統制法」を制定し、「飼料配給株式会社」を設立した。また一五年には「配合飼料共販株式会社」を翌一六年には「飼料共販株式会社」を合併して新たな「飼料製造株式会社」が設立され、一七年にはこの「飼料製造株式会社」と前記の「飼料配給株式会社」を合併して、「日本飼料統制株式会社」が設立されるなどその後、長期間にわたる統制経済下において飼料の窮乏は次第にはげしくなり、未利用資源の活用を行いながら昭和二二年までこれらが続けられた。


  3 昭和二〇~三〇年の時代

 終戦後の昭和二二年「飼料配給統制法」が廃止され、二三年に「日本飼料統制株式会社」、「日本飼料配給公団」などが設立されたが、食糧事情もようやく好転の方向に向かいこれらは間もなく廃止され、昭和一三年から一二年間続けられた飼料の配給統制は終わりをつげた。
 しかし、飼料を民間輸入だけに委ねることには、問題も多いので、二七年に「飼料需給安定法」、二八年には「飼料の品質改善に関する法律」を制定し、毎年の飼料需給計画の樹立や品質検査の強化などを図り、急速な輸入飼料の増大に備えた。
 一方二九年には「酪農振興法」、三五年には「養鶏振興法」、三六年には「畜産物価格安定法」、「農業基本法」などが相次いで公布され、三七年四月には総工費約三億円をもって協和飼料kk今治工場の完工などをみるに及んで、経済の成長と相まって畜産経営の規模拡大、近代化が進み、飼料産業もまた高度発展が続くのである。


  4 昭和四〇年代以降

 前記のように、昭和三〇年代から四〇年代前半にかけて、わが国経済の高度成長に伴い、飼料産業も順調な発展を続けた。三八年九月に県経済連においても、系統農協畜産飼料事業拡充五か年計画が決定し、四二年度の目標を当時現状の配合飼料一〇万九、〇六九t・統制率五五%を、一三万六、八八〇t・七五%統制に拡大する計画を持って系統、また関連会社・協和飼料kk今治工場が一体となって県内系統供給が推進された結果、四五年度には配合飼料一九万四、六九八t・統制率五三%を達成し、系統供給量が過半数を制する現状となった。
 しかしながら、このころから、わが国飼料原料の大きな輸入先である米国の農産物輸出政策の変更、世界的な異常気象による農産物の減収、あわせてこれに伴うソ連、中国などの大量の穀物買い付け、さらに四八年末からの石油危機などにより、飼料価格の相つぐ高騰により、わが国の畜産は非常な危機に直面した。このような異常事態に対して、国は飼料緊急対策として、政府操作飼料の麦類、あるいは過剰米の一部を、配合飼料原料として払い下げを行い、また、金融面においては、畜産経営特別資金融通措置、配合飼料価格安定基金による飼料価格の補てんなどを実施してこれに対応した。
 その後、飼料価格は海外市況により、ある程度の変動は見られたが、昭和五二年ころから一応沈静状態に戻って現在に至っている。
 なお四九年度実績を基準とした予測調査事業による県内配合飼料の需要量は下の表3-21のようになっている。



表3-21 配合飼料の需要量 (予測調査事業)

表3-21 配合飼料の需要量 (予測調査事業)