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愛媛県史 社会経済1 農林水産(昭和61年1月31日発行)

三 松山藩家老の武家果樹植栽の禁止


 松山藩主「光輝院殿定功公」時代、家老吉田久太夫蔵沢が、武家屋敷に果樹を植えることを禁止した文書がある。『松山叢談』第八(予陽叢書版第二巻二二一頁)に「久太夫同志中の屋敷に参り、蜜柑、柿、九年母、桃、梨の類すべて菓物の庭前にあれば、翁是を見て士の利を得ん為に植しと見らるゝも残念なり、又かよふの物有は子供の喰物たしみして素性あしく成もの故旁抜捨べし迚皆捨させるなり。諸方を廻り如此世話やくなり人に廉耻を教ゆるの心なるべし(却睡草)」