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愛媛県史 社会経済1 農林水産(昭和61年1月31日発行)

二 経営耕地と農業生産の動向


 耕地の推移と土地利用の変化

 本県の耕地は終戦当時七万九、五三〇haであったが、昭和五七年の実数は三〇ha減少しただけとなっている。しかし、この間には食糧増産のための開墾・干拓、かんきつ類の新植のための開墾による耕地の増加と、都市化に伴う耕地の転用などによる減少があった。
 すなわち、昭和四二年には九万三〇〇haと戦後最高に達した。このころまで相対的に有利な干拓や開田事業による田が増加して、昭和三六年最高四万四、四〇〇haを記録した。また、普通畑は主として果樹園に転換され年々減少した。果樹園は終戦時六、六三九haに過ぎなかったが年々増加し、昭和五七年には当時の五・七倍、三万八、○九九haまでになった。桑園は一時期二、〇〇〇haを超えたことがあったが、年々減少の傾向を示している。茶園は少ないながら戦後大きく増加している。
 その結果、終戦当時田の比率は五一・二%から四〇・四%となり、畑は三三・三%から九・二%に激減している。反対に果樹園は八・三%から四八・一%に激増している。
 また、主要作物の作付面積の構成を見ると、麦・甘藷・野菜が減少して、果樹が増加している。米と果樹が八三・三%とその主体となっている。

 農業生産の推移

 農業粗生産額は、昭和三〇年以降五〇年ころまで順調に伸びていたが、それ以降伸び悩みである。これは米の生産調整と米価の抑制によるものと、それまで戦後一貫して成長の主導的役割をもっていた果樹・畜産部門の価格の低落に原因している。
 それでも、昭和五五年の農業粗生産額は一、七二四億円余りである。五五年の物価指数で換算した実質農業粗生産額で最も多かったのは、昭和五〇年の二、〇六七億円で、昭和三〇年の三・一倍であった。
 農業生産額の種目別の消長は、その構成比率の変化によく現れている。かつて、米・麦で八〇%を超え、耕種部門で九〇%に近かったが、五五年には畜産が三〇・八%で、耕種部門は約七〇%に低下した。耕種部門の主体であった米は、四〇%が一六・七%に、麦に至っては四一%がわずかに一・六%まで低下してしまった。
 果樹は昭和四五年には三三・三%までを占めていたが、グレープ・フルーツの輸入に端を発した夏みかんの暴落、そして温州みかんの生産過剰による暴落、引き続くジュース、オレンジなどの自由化の影響を受けて、価格の低迷と生産調整によって、漸減を続け昭和五五年には二七・六%まで低下している。また、果樹とともに戦後農業の主役を果たしている畜産についても、価格が低迷し、最近は停滞気味である。
 このような農産物価格の低落と、生産資材費・労働賃金の上昇など、交易条件は、戦後の一時期を除いて一貫して悪化している。すなわち、農業所得率は、昭和三〇年七二・六%であったが、年々低下して五五年には四二・八%となった。



表6-10 経営耕地面積(利用形態別)

表6-10 経営耕地面積(利用形態別)


表6-11 作物別栽培面積の比率

表6-11 作物別栽培面積の比率


表6-12 農業生産額と生産農業所得

表6-12 農業生産額と生産農業所得


表6-13 部門別生産額構成比

表6-13 部門別生産額構成比