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愛媛県史 社会経済1 農林水産(昭和61年1月31日発行)

三 農業用資材の統制


 肥料の配給統制

 肥料の円滑な流通と価格の適正化を図るため、昭和三年九月(九日)に臨時肥料配給統制法が施行され、政府が必要と認めた時は肥料の製造業者、団体に対して肥料の配給統制に必要な事項を命じ、また肥料の販売・使用・消費・移動・輸入に関して必要な命令が出来るようになった。
 本法により昭和一四年三月(二五日)に肥料配給統制規則が公布され、硫安・石灰窒素・過燐酸石灰・加里塩の四肥料が次の方法で配給されるようになった。
(一)市町村から県に対して単肥、配合用の前記四肥料の必要見込量を申告し (二)県はこれを基礎にして一月~七月、八月~一二月の二期別に算出した所要見込数量を農林省に申請し (三)農林省において府県別割当数量を決定 (四)割当を受けた県は統制委員会(肥料・農機具の統制のため昭和一三年八月に設置)の審議を経て、町村別に定めた消費可能数量を基礎にして町村別の割当数量を決定する。
 配給制の実施後も、肥料事情は逐年悪化し、需給の調整をさらに強化するため昭和一四年一二月(二八日)に肥料消費調整規則が公布され、翌一五年二月にはついに肥料が切符制となり、また同年一一月(一八日)に骨粉類配給統制規則が制定されて統制が有機質肥料に拡大(本県には昭和一六年七月に最初の有機肥の割当が行われる)し、以後の肥料は切符制による完全な統制資材になった。
 また肥料配合統制規則により、昭和一五年三月(一二日)に県告示で臨時配合肥料の販売価格が指定され肥料価格も統制されることになった。
 肥料の割当制が始まると同時に、全国各府県で産業組合と商人系の取扱数量の配分比率が問題となり、各府県とも両者間で長らく紛争が続いたが、本県では昭和一五年の一月~七月期の配給を表5―5のような暫定比率で実施し、その後、県購連と卸商組合間で全国初の協定が成立し、以後おおむねこの比率で扱われた。
 なお肥料事情が極度に悪化した戦争末期の昭和一九年以降、肥料の配給は全国農業会に一元化され、県においても愛媛県農業会(昭和一八年一二月二七日設立)の統制下におかれた。

 農機具の配給統制

 昭和一五年九月(一四日)に農機具用ゴム製品配給統制規則、続いて同年の一一月(二二日)に農機具配給統制規則が公布され、農機具も統制資材となるが、本県では同年九月(四日)に愛媛県農機具配給統制要綱(資料編社会経済上五九頁)と小農具配給統制要綱(同上)が制定され、大小農具の大半が統制の対象になった。
 同時に愛媛県農機具配給協議会規程(昭和一五年九月四日県告示第五六三号)が定められ、(一)農機具需要量の決定 (二)農機具の市町別配給割当 (三)農機具の配給に関する重要事項 につき知事の諮問に応じて審議する協議会が設置された。協議会は県経済部長を会長とし、委員は県関係官、県農会、県水産団体、農機具製造者団体、需要者団体、農機具配給者団体その他学識経験者から知事により任命委嘱された。
 統制の実施で県外製品の鍬・鎌・犂・耕耘機・脱穀調整機など、常用農具の配給がすべて割当てとなり、県内製品の鍬・鎌・在来押切・つるはし・斧などの小農具の製作は、県の製造業者に対する原料鉄鋼の割当(愛媛県鉄工機械器具工業組合連合会経由)によって間接的に統制された。鉄鋼の割当は四半期ごとに提出される市町村の需要量請求を基本にして配給協議会で審議決定された。




表5-5 産業組合、卸商組合配分比率

表5-5 産業組合、卸商組合配分比率