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愛媛県史 社会経済1 農林水産(昭和61年1月31日発行)

第一節 県民総動員体制の確立


 日中戦争の勃発(昭和一二年七月七日)から一週間後の七月一五日に、緊急地方長官会議が開催され、事変の真相とこれに対する国民の覚悟を徹底し、国論を統一することが協議された。
 本県では二日後の一七日に、知事(古川静夫)を中心に、一二〇万県民総動員の具体策が協議され、直ちに緊急市町村長会議・各種教化団体・青年団・国防婦人会・壮年団・その他各種団体の合同会議が開かれ、事変に対処する県民総動員の体制が確立された。
 一〇月一三日から一週間を、とくに総動員強調週間とし、その第一日の一三日は県下各官公署で一斉に強調式が挙行され、県民総動員の第一歩が踏み出された。当日の模様を愛媛新報は次のように報じている。
 「この日県庁では午前七時、庁員全員、庁舎屋上に集合、展望台室内に皇大神宮を祭る祭壇が設けられ、田内阿沼美神社社司を祭主として鎮座祭を執行し、終って皇居、神宮を遥拝し、国歌を合唱の後、第七二議会開院式に賜りたる勅語を古川知事奉読、終って強調週間第一日に際し庁員の覚悟につき知事の訓示があって厳粛裡に強調式を終った。」なお県下各地で次の宣言が行われた。

      宣 言
 「今や我が帝国内外の状勢は非常の時局に直面し、前途予断を許さゞるものあり、本村(町)民は挙村(町)一致尽忠報国の精神を愈々鞏くし堅忍持久、総ゆる困難を打開して帝国不動の目的を貫徹する為、国民総動員運動の実践を圖り、以て皇運を扶翼し奉らんことを期す」(愛媛新報昭和一二年一〇月一四日記事)