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愛媛県史 社会経済1 農林水産(昭和61年1月31日発行)

第五節 農業の機械化


 農業機械化の背景

 農業における大正時代の著しい特徴は、小型石油発動機を原動力として農業の機械化が普及したことである。農業の機械化を促した要因は、第一次世界大戦に因る農村経済の一時的好況(農村購買力の急増)と、向都離村現象の激化に伴う農村労働力の減少で賃金が高騰し、農繁期の旦雇、季節雇の雇用が困難となり、家族外労力に依存していた中農層の経営が少労多収農業の開発を必要とするに至ったことである。県農会の農家経済調査によると大正一二年の平坦米麦作地帯の農家の平均一日当労働所得は九二銭であるが、同年の農繁期の雇用労賃は表3-7のようにその二倍の高額であった。(大正四年ころまでは一日四〇銭以下)
 米麦作地帯に較べると養蚕地帯はさらに高く、上中下人平均で男二円四〇銭、女一円九〇銭であった。年雇・季節雇・日雇など各種の雇用労働に依存していた地主自作・自作地主・自作上層の中農層は、異常な賃金騰貴で経営の維持が困難となり、活路を機械化による省力技術の導入に求めた。
 機械に対する農業の要求が切実となったこの時期は、同時に農業機械化の技術的条件が解決された時期であった。世界大戦の終結で市場を喪失した産業資本は、従来の鉄工所に代わり、近代産業の基盤に立って農業界の要望に応え、原動機の小型発動機と共に、大豆粉砕機・籾摺機・脱穀機・精米機・その他各種の動力用作業機の開発に進出し、大正時代の後半期にはこれらの作業機がほとんど出そろっていた。

 石油発動機

 我が国に石油発動機が輸入(英国製スピエル発動機)されたのは明治一七年であるが、農業用に石油発動機が登場するのは明治三五年で、当初は主として灌漑排水用に使われていた。農作業用としては、明治三九年に愛知県下で製縄機・藁打機・籾摺臼の運転に石油発動機が使用された例が最も古い。明治四二年ころには、岡山県・山口県・香川県などで、籾摺作業に発動機を利用する業者が現われたが、当時の機種はトラスチャー型・ミーツ型・エンド型・ワイス型など、何れも焼玉式機関で重量が重く、作業中に運転が中止することもあり、また焼玉が露出していて危険が多く、農業用原動機としては不適当であった。
 大正時代になると農業に適した小型石油発動機に対する関心、要望が強くなり、大正七年に岡山市でイギリスのナショナル型を改造した国産石油発動機の製造が始まり、農業団体の積極的な指導で製作に着手する鉄工所が急激に増加し、愛知県では大正九年に農林省の委託をうけて農事試験場が動力農具の研究に着手するなど、大正一〇年前後から小型石油発動機は全国の各府県で急速に普及するようになった。
 当時、本県で普及していた主要な機種は野田式・オット・関谷式・Z式・アンターなどであったが、価格はいずれも一台三〇〇円~五〇〇円前後(Z式一HP三〇〇円、三HP五〇〇円、アルファー二HP三五〇円)の高価なものであった。大正一二年の本県農家の一戸当たり平均農業所得は一、〇三三円七五銭、同米価は一石三〇円八九銭で、五百円の発動機は年間農業所得の半額、米換算では一六石に相当する金額であった。したがって発動機を導入しえたのは一部の地主層に限られ、一般農家、とくに零細小作農にとっては高嶺の花の農具であった。
 県農会は石油発動機の普及を図るため、大正一一年五月に石油発動機購入奨励規程を設け、購入価格の七%の補助金を交付して奨励した。

            愛媛県農会農業発動機購入奨励規程(大正一一年五月)
第一条  本会は農業労力の節約を図り其経済に資せしめん為本規程により農用発動機の購入者に対し補助金を交付す
第二条  補助金は農業関係諸団体又は組合及主として自己の農業経営に使用する者へ本会に於て優秀と認めたる動力機
      の購入を斡旋したる場合に限り之を交付す
第三条  補助金は動力機価格の百分の七以内とし購入の際之を交付す
第四条  希望者は機名馬力数を記載したる購入斡旋申込書に価格の一割の保証金を添え補助申請書と共に郡農会を経て
      之を本会に提出すべし
第五条  本規程により動力機購入者に対しては特に据付又は運転の指導及故障点検等の為本会より係員を派遣することあ
      るべし

 県農会の調査によると大正一三年二月の時点で、県内の石油発動機数は五五四台に達し、専業農家一四六戸に一台の割合で普及している。最も多いのは温泉郡(全体の三六%)で越智郡(同一三%)がこれに続き、東予の四郡で四四%、中予の一市三郡が四五%で九〇%が中東予に集中し、南予はわずかに一〇%の普及にとどまっている。この五五四台を所有別にみると表3―9のように全台数の四九%が個人有となっているが、その九割は営業者の所有で、農家の個人所有は全台数の五%(二七台)、しかも地主の所有である。
 一般農家の所有はすべて共有で、五人以内の共有が全体の一八%(九八台)で最も多く、二〇人以上の共有がこれに次ぎ一六%(八六台)となっている。五人以内の共有は近隣者、親類縁者などの二、三人で所有する例が多く、ニ○人以上有は実行小組合、あるいは集落有が大半を占めている。
 この複雑な所有形態は時代と共に変遷し、営業者の所有が減少して農業者有が多くなり、耕作者の所有も富農層による個人所有と実行小組合、あるいは集落の共同所有の両極に分化して整理された。

 動力作業機

 石油発動機の普及と雁行して籾摺機・麦摺機・大豆粕削機・精米機などの動力用作業機が相次いで開発され、農作業の機械化が急速に進行するようになったが、本県で最も早く普及したのは籾摺機である。江戸時代に渡来した籾摺具の土臼(利臼)は部分的な改良を加えながら明治時代を経て大正時代まで使用され、動力籾摺に移行する土臼時代の最期となった大正の中期には、各種各様の機種が揃っていた。
 選択に迷う農家のため大正一〇年一一月に温泉郡農会が実施した籾摺臼の比較調査会に出品された機種は表3-10の一九種におよんでいる。
 式名は考案者、製作者、あるいは宣伝を目的とした名称が多く、型式も大同小異で類似のものが大半を占め、なかには同種異名のものもあった。型式は地方により多少の相違はあるが、大正中期まで江戸時代そのままの遺り木式であった。動力籾摺に移行する直前に、足踏式土臼、水車・畜力利用の土臼などが考案されたが、いずれも短命で終った。






表3-7 米作地帯日雇労賃

表3-7 米作地帯日雇労賃


表3-8 石油発動機種類別普及台数

表3-8 石油発動機種類別普及台数


表3-9 農用発動機所有別台数

表3-9 農用発動機所有別台数


表3-10 籾摺臼比較調査会出品機種

表3-10 籾摺臼比較調査会出品機種


図3-2 足踏式土臼の籾摺

図3-2 足踏式土臼の籾摺