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愛媛県史 社会経済1 農林水産(昭和61年1月31日発行)

四 農作物の収益


 農作物の栽培労力・地益

 明治一三年愛媛県統計概表の地益表から当時の作物の栽培所要労力・反当収益を見ると次の表2-23のとおりで米麦・豆類・特用作物により著しい特徴が見られる。労働集約度は一般的に特用作物が高く、豆類は低く、米麦がその中間に位している。

 農作物の経済的序列

 表2-23から反当収益(収穫金額から見積労力費と肥料代の合計を差引)と反当所要労力(女労働を男労働の八割で換算)を算出すると表2-24のようになる。
 反当収益の序列は表2-24に見るとおりであるが、米を例外として上位の八位までは特用作物が占め、麦類・豆類・雑穀類の収益は極めて少ない。前記の「作物の変遷」でも考察したとおり、特用作物は明治中期まで米と並ぶ重要な位置を維持していたのである。
 特用作物は、反当収益は高いが多くの労力を要し、投下労働一人当収益では豆類に劣るものもあるが、反当収益、一人当収益の二点から総合しても、(一)麻苧、(二)粳米、(三)楮、(四)甘蔗、(五)糯、の順序となり、麦、雑穀類などに比較してはるかに有利な作物であったと見ることが出来る。
 本表は明治前期における各作物の栽培的特徴―集約栽培の特用作物、粗放栽培の雑穀、いも類、中間の米麦―の実態を端的に表示しているが、反当投下労力で注目すべきは麦類の労力が意外に多く、とくに裸麦の所要労力は二〇人を超え稲作を凌いでいる点である。
 明治二四年二月に農事視察と指導で来県した明治の三大老農の一人として知られていた上洲の船津伝次平(一八三二―一八九七)が、道後平野一帯の裸麦作を視察して「けだし日本一」と激賞しているが、少肥栽培のため低収ではあったが本県の裸麦作は稲作に先行して、早くも明治の初期から労働集約型の優れた栽培体系を確立していた。



表2-23 反当地益

表2-23 反当地益


表2-24 反当収益・所要労力

表2-24 反当収益・所要労力