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愛媛県史 社会経済1 農林水産(昭和61年1月31日発行)

二 勧業委員・勧業会・勧業諮問会


 勧業委員

 明治一四年に独立した農商務省は、その補翼として農商務卿の諮問に備えて「農商工上等会議」を設置したが、同時に地方においても、県令の補翼諮問の機関として「農商工諮問会」が設置された。
 この諮問会は二年後に廃止され、明治一六年に改めて勧業諮開会勧業委員設置条項(農商務省布達第一三号)が布達され、これに基づき県では明治一八年三月に、勧業委員設置準則(三月一八日県布達乙第五六号)、同年五月に、勧業会設置準則(資料編社会経済上一五頁)、続いて同年六月に勧業諮問会規則(資料編社会経済上一六頁)が相次いで定められた。
 勧業委員会は郡長・戸長の諮問機関で、委員は県令により任免され町村または連合町村におおむね一戸長役場に一名の割合で、当初は四一名が配置されたが、明治二〇年三月の準則改正で各郡役所管内に平均四名、総数六四名に増員された。町村の中には委員の事務を補佐する勧業委員補を設置する村もあった。
 勧業委員は、郡長・戸長の諮問事項を審議するほか、県令・郡長の指揮する事務、戸長からの協議事項を処理することを任務としていた。勧業委員に対する郡長・戸長の諮問事項は次のように定められていた。

 (一) 海陸運漕の利害に関する事  
 (一) 溝渠用悪水疏通に関する事  
 (一) 悪虫及び有害鳥獣駆除の事  
 (一) 山林栽培及び保護の事
 (一) 水産蕃殖及び保護改良の事
 (一) 農工商事統計の事
 (一) 動植物蕃殖及び改良の事
 (一) 前項の外 農商工事の利害に関する事

 勧業委員の設置と同時に、明治一一年に開始された通信事業担当の勧業掛・勧業世話掛(後に通信委員の名で呼ばれる)は廃止され、その業務は勧業委員に移されたが、前記の事務の大半はこの通信統計の業務であった。
 各郡の勧業委員の報告は、毎月一回、小冊子にして県会議員その他の篤志者に分賦されたが、月に一回では時期を失する情報もあり、明治二〇年四月以降はこの月刊の小冊子を「勧業雑報」とし、緊急の情報は別に「速報」として月に二~三回発行した。年間の資料は整理編纂され「農商工統計一覧概表」として纒められた。勧業委員設置準則は町村制の実施に伴い、明治二二年に廃止(県令第七三号)された。

 勧業会

 勧業会は、農商工各産業の改良進歩を図るため、町村内または連合町村において農業・商業・工業ごとに、あるいは三業の併合で設置された組織で、明治二〇年には県下で四四会(勧業会三三・農業会一○・林区会一)が設立された。後年、系統農会の母体となった温泉郡農業義会はこの勧業会の一つであった。
 勧業会は各業の改良進歩を図る各種の研究や活動のほか、農商務卿、県令の勧業に関する諮問事項の審議あるいは勧業に関する意見または報告書を国、県に対して提出することの出来る組織で、会員は各業界から公選された名望の士と前記の勧業委員で構成されていた。
 明治の前期に盛況を呈した各種の物産共進会・品評会の多くはこの勧業会の活動によるものであった。勧業会設置準則も、勧業委員設置準則と同様に、町村制の実施により明治二二年に廃止された。(県訓令第八七号)

 勧業諮問会

 勧業諮開会は県令の諮問機関で、会員は各業界の名士から県令が特選した五〇人によって構成される規則(準則第四条 後に五〇人以内に改正)になっていたが、明治二〇年の会員は、戸長五名・県会議員一三名・農業者七名・商業者八名・工業者二名の三五名であった。県令の諮問事項は前述の勧業委員に対する郡長、戸長の諮問事項と全く同一であった。
 諮開会は通常と臨時の二会が開かれ、通常会は毎年、通常県会の前に開会される規定(準則第二条)であったが、明治一八年の六月と、同二〇年の三月に二回の通常会が開かれただけで、臨時会は一度も開会されることなく中止され、町村制の実施後は自然消滅のかたちで廃止された。