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愛媛県史 社会経済1 農林水産(昭和61年1月31日発行)

一 勧業通信制度


 農事熟練者の調査と起用

内務省勧農局は、明治一〇年一一月に勧農局と府県庁間の情報交換と政策の連携を密にする目的で、府県通信(にんべんに尺)規則を公布して農事に関する通信業務を開始するが、その準備として明治八年三月(三月七日 内務省布達乙第二八号)と同一〇年一月(一月二〇日 七等属竹尾忠男名)の二回にわたり、各府県に対して、農事熟練者の調査を依頼している。
 これを受け、県では明治一〇年三月に各区々戸長に対して次の照会をしている。

         農事熟練者の調査(明治一〇年三月一二日 県布達乙第四〇号)
   農業を振起して物産を繁殖するは其芸業熟練のもの之れが先導をなすにあり。現今其人に乏しからずと雖も、未だ普く之
  を知る能はず。仍て左の部門に照し当管内に於て右等人物の成績住所及び姓名年齢取調の儀、今回勧農局より照会有
  之、右は往々農事通信者を設置し、広く便益の道を開き、且は各地をして互いに其人あるを知らしめ、将来起業の際、有益
  ならしむるの主意に付 篤く其意を体得し各区内に於て、精々調査の上別紙書式に傚ひ有無共本月三一日限 大区毎取纏
  め可差出此段
  相達候事
           明治一〇年三月一二日
                    愛媛県令 岩村高俊
   一、稼穡 一、牧畜 一、開墾 一、養蚕 一、製糸 一、製茶並茶葉培育之業 一、農産に属する諸製造

 明治一一年の地方勧農上に関する実況調査によると、区長戸長の報告に基づき、県は各部門の篤志者として次
の三三名を勧農局に報告している。

 一、稼穡に稍熟せし者
宇和郡音地村   佐々木清七
同   中間村   二宮致知
浮穴郡黒藤川村 堀尾兼八
野間郡宮脇村   新居田与平治
久米郡久米村   池田輝秀

 二、開墾に稍熟せし者
温泉郡三番町   奥平貞幹

 三、養蚕に稍熟せし者
温泉郡堀ノ内町 白石孝之
周布郡新屋敷村 青山 操
喜多郡大洲    大橋 有
同          福井茂平
新居郡多喜浜村 天野サダ

 四、製茶に熟せし者
浮穴郡有枝村   山内門十郎
温泉郡北八坂町 小野山義太
同   湊町    岡宮宗一
同   三番町   吉水元瑞
喜多郡大洲    和田伊助
同   柴村    幹林確庵
宇和郡茂村    醍醐賢澄
温泉郡湊町    山田善三
同          一屋清三郎
同   萱町    宮崎善次郎
同   末広町   豊田元泰
同   弁天町   御手洗道行
同   新玉町   西山正史

 五、奉書紙製造に熟達せし者
新居郡神拝村  横井鍋吉
同          服部役蔵
同          越智槌蔵

 六、美濃紙及半紙製造に熟達せし者
喜多郡平岡町  久保寅吉
同          徳田政五郎
浮穴郡菅生村  秋本九郎衛
温泉郡小坂村  河野安蔵

 七、泉貨紙製造に熟達せし者
宇和郡釜ノ川村 森弁次郎
同     上川村 畔地類吉


 通信業務

 勧農局の前記の府県通信(にんべんに尺)規則により、県も明治一一年に「勧業通信(にんべんに尺)規則」を定め、各郡ごとに勧業篤志者両三名を選任してこれを勧業掛として通信業務を開始したが、明治一二年九月に規則を改正して新たに「勧業通信規則」(資料編社会経済上一〇頁)を定め、各郡の書記一名を「通信委員」とし、その下に「勧業世話掛」を置き、各郡毎に適宜の方法で通信を執行すると共に、県勧業課(明治九年一月九日設置)に各地の農商工および漁業の実情を収集する体制を確立した。
 郡の通信委員からの報告は臨時報、月報、年報の三種に分類して整理し、県の内外に頒布したが、明治一三年の勧業年報第三号によると「愛媛県通信規則中、月報と題して毎月冊子を発行するの定めあるは、未だ適法と云う可らず。由て一三年一〇月より報告発行の期を改め、大略年六回の積りを以て成る可く有益貴重の物件を録し勧業年報と改称せり。此書に由て通信報告の肝要怠る可がらざるの思想を起さしめ、漸々通信書の机上に堆積するに至らば、報告の期を定め続々冊子を発行し以て通信の実効を挙げんとす」という実情であった。
 勧業通信制度の開設で、県郡間の気脈、情報の連絡が密となり、県内の産業振興の基盤が確立したが、農事の改良、特に情報の交換を必須とする虫害防除における成果は極めて顕著であった。

 県農会の通信業務

 この通信制度は、明治一八年三月に郡長、戸長の諮問機関として新設された勧業委員に移管され、その後も規則の追補、改正を重ねたが、明治三二年に農商務省訓令で廃止され、最後は農会に対する政府、県の委任業務となり系統農会に引き継がれた。
 業務を継承した県農会は、明治三四年八月に「通信委員通信規程」を定め、九月一日付で各郡に一名の「県農会通信委員」を嘱託し、毎月一回、郡内の農況通信を依頼した。

       愛媛県農会通信委員通信規程(明治三四年八月)
  第一条  通信委員は毎月一回 其地方に於ける農況の通信をなすものとす
  第二条  通信は毎月一五日迄に本会に到着すべき予定を以て発送すべし
  第三条  通信委員の通信報告すべき概目左の如し
         一、普通農作目の概況
         一、養蚕、製茶、畜産に関する事項
         一、山林苗圃に関する事項
         一、利水排水に関する事項
         一、農具並に肥料に関する事項
         一、害虫駆除予防に関する事項
         一、気候の変化に関する事項
         一、農家の副業に関する事項
         一、右のほか農事上必要と認むる事項
  第四条  通信委員には、毎月本会々報を無代価配布し且つ通信に関する実費報酬を給与することあるべし

 この県農会の規程に準じて各郡農会も「農事調査委員会規程」を定めて通信業務を開始し、系統農会の体制が整備された。県の委託で出発した系統農会のこの農事に関する調査結果は、明治三六年から「農事統計攬要」としてまとめられ、昭和一八年まで四〇年間にわたって実施され系統農会の重要な事業の一つになった。