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愛媛県史 地誌Ⅱ(中予)(昭和59年3月31日発行)

六 上黒岩岩陰遺跡と御三戸嶽


 上黒岩岩陰遺跡

 上黒岩岩陰遺跡は、久万川と面河川が合流する御三戸嶽から、三㎞さかのぼった久万川右岸の上黒岩にある。遺跡は河岸段丘背後の石灰岩の斜面の岩陰にあり、縄文草創期から縄文早期にわたる複合遺跡である。この遺跡は昭和三六年地元の農民が開墾作業中に発見し、以後五回の発掘調査が行なわれ、その全貌が解明された。遺跡は第一層から第九層まであるが、炭素年代測定法によって、約一万二〇〇○年前のものと推定される第九層からは、わが国最古の土器といわれる細隆起線文土器や、女性の姿を刻んだ線刻礫、石で作った槍先である有舌尖頭器などが出土した。また、第四層の最奥部からは、腰骨に鹿の足の骨でつくった槍が貫通している縄文早期の人骨も出土した。県内では、最古の縄文文化の様子をうかがえる貴重な遺跡として、昭和四六年国指定の史跡となる。
 遺跡に隣接しては、昭和四九年考古館が落成し、出土品を展示している。参観者は年間七〇〇〇人程度であり、五月と七・八月に多く、一二月から三月の冬季には少ない。参観者は松山市内の小・中学生が最も多く、七・八月の夏休み中に、面河自然のまでの林間学校への途次に立ち寄る場合が多い。なお近くには、昭和四五年国の重要文化財に指定された旧山中家住宅があり、無料で一般公開されている。この建物は従来宇摩郡の別子山村にあったものが、同五〇年この地に移築復元されたものであり、江戸中期の四国山地中部の民家の様式を伝えるものとして貴重である。


 御三戸嶽

 御三戸嶽は美川村の中心部、面河川と久万川の合流点にある高さ三七m、長さ一三七mの三角形状の石灰岩の岩頭である。くの字形に屈曲する面河川の上流側は淵、下流側は白砂となり、その間に垂直の岩壁がそびえる。淵の水は陽光を受けて七色の変化を石灰岩の岩壁に反射するので、七面鳥岩ともいわれる。岩壁の上には老松がみられるが、先端に近い牝嶽にはあかまつが、つけ根に近い雄嶽にはくろまつしか生えないという。面河溪入口の景勝地として、昭和四六年県の名勝に指定された。
 土地は明治中期までは私有地であったが、同三七年(一九〇四)、久万山凶荒予備組合が景勝地を保存するため組合財産として購入したもので、地元の団体が自然保護の先鞭をつけたものとして、広く世に知られている。