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愛媛県史 地誌Ⅱ(中予)(昭和59年3月31日発行)

三 上尾峠と真弓峠


 上尾峠

 伊予郡広田村は四方を山で囲まれているため、他地域へ行くには多くの場合峠越えを必要とした。現在でも上尾峠・サレガ峠・大堂ケ峠・がくが峠・立石峠・大佐礼峠・境柱峠・鍛冶屋峠等が交通路として利用されている。中でも砥部町と広田村の境にある上尾峠(標高四六三m)は松山方面と広田村・小田町を結ぶ重要な幹線交通路として広く利用されており、藩政時代には峠の北麓の川登に番所も置かれていた。
 明治末期までは、谷沿いの小径であったため徒歩や馬運のみで車輛の通行は不可能であった。その後、山腹を縫って峠に達する道路が建設され、大正六年(一九一七)に県道となった。しかし、この県道も交通量の増大や車輛の大型化に対応し切れなくなったため、昭和四八年より四年間を費やし上尾燧道(第一・第二・第三合計四八七m)が建設され、従来の上尾越えは姿を消した。五二年には一般国道三七九号となり、現在も各所で拡幅工事が続行されている。
 周辺の広田村側では良質の陶石が採掘されており、砥部焼の原料になるほか県外へも出荷されている。なお、「上尾」の名はかつては「上火」「上非」とも書かれ、焼畑に関連する地名であるとも言われている。

     
 真弓峠
     
 上浮穴郡小田町と同久万町の境にある峠で、標高は七三二mである。かつては今生坂峠・ほうじが峠・下坂場峠などとともに小田郷と久万郷を結ぶ重要な物資流通ルートであった。しかし、昭和一一年に峠の北側の標高六五〇mの所に真弓燧道(延長二三五m、幅三・六m)が完成して以来、峠を利用するものはほとんどいなくなった。