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愛媛県史 地誌Ⅱ(中予)(昭和59年3月31日発行)

六 忽那諸島の観光


 観光資源としての自然

 地質的には花崗岩帯に属し、これに火山活動としての安山岩が貫入し、岩脈や岩頸が露出しているところが多い。それで花崗岩の風化による白砂の美しい汀線や、花崗岩・安山岩の浸食地形、安山岩が浸食し残されたドーム状の山容、凝灰岩海食洞地形、陸繋砂洲などが、多島海を背景に景観美をつくっている。
 〔観光対象〕姫ケ浜・ヌカバ海岸(白砂汀線、海水浴場)、大串海岸(火山岩浸食地形、キャンプ場)、由利島(火山岩浸食地形、海食洞、陸繋浜堤、無人島と住居跡)、梅ノ子鼻(陸繋島、水軍史跡)、クダコ島(花崗岩海食地形、水軍史跡)、泰ノ山(火山岩岩頸、展望、旧城趾)、鎧岩(火山岩岩頸)(図6―17)。
          

 遺物、史跡、文書

 ナウマン象化石の宝庫といわれる海域で、特に津和地・怒和海域では今でもよく網にかかっている。また、古墳もあり、縄文・弥生式土器も出土するが個人死蔵の傾向もあり、集中管理や保存、整理が必要である。南北朝から戦国時代にかけての城跡・遺跡も多いが保存状態は余りよくない。古文書は中世、藩政時代文書の宝庫といわれ、よく保存、解読されている。コピー印刷が容易だから、すべてにコピーをとって町保管をすればよい。

 〔遺物〕ナウマン象化石、縄文早期押型文土器(粟井)、弥生式土器(由利島他)、両頭石斧(粟井)。
 〔古墳〕中山古墳(小浜)、丸山古墳(野忽那)、懸山古墳(小浜)。
 〔史跡〕泰山城跡、本山城跡、クダコ城跡、梅ノ子城跡、神浦館、文中板碑(南朝、県指定)、貞治板碑(北朝)。
 〔古文書〕太閤検地帳、伊能忠敬測量図、忽那文書(鎌倉~戦国)、長隆寺寺文書(鎌倉~江戸)、二神文書(室町~江戸)、溝田文書(江戸)、堀内文書(江戸)、入河文書(江戸)、畑里文書(江戸)、越智文書(江戸)。


 寺・社その他

 地域の信仰が厚く、ほとんどがよく保存されている。
 〔神社〕①八幡神社(大浦、忽那七島総社、大楠樹)、②与理家神社(小浜)、③三島大明神(長師、鎧掛松跡)、④天満神社(宮野)、⑤滝神社(神浦、牛頭大明神)、⑥天満神社(宇和間)、⑦宇佐八幡神社(熊田)、⑧五十鈴神社(吉木)、⑨天満神社(饒)、⑩賀茂神社(畑里)、⑪桑名神社(粟井、馬頭大明神、畜産、海運神、絵馬)(写真6―14)。⑫若宮八幡神社(宮浦)、⑬天満神社(上怒和)、⑭厳島神社(元怒和)、⑮八幡神社(津和地)、⑯宇佐八幡神社(二神)、⑰当田八幡神社(睦月)、⑱宇佐八幡神社(野忽那)。
 〔寺院〕(ア)長隆寺(大浦、忽那氏氏寺、長隆寺文書)、(イ)浄玄寺(大浦)、(ウ)長善寺(大浦)、(エ)真福寺(長師)、(オ)正賢寺(熊田、懐古館)、(カ)教円寺(粟井)、(キ)延福寺(元怒和)、(ク)西清寺(元怒和)、(ケ)洞源寺(津和地)、(コ)安養寺(二神)、(サ)玉善寺(睦月)、(図6―17)。
 〔その他〕 植生―城山の自生ビャクシン(二神)、ビャクシン、うばめがし、かや樹(粟井)、句碑―中村草田男(大浦)、吉井勇(大浦)。


 観光マーケットと観光対策

 松山へ七往復便、呉・広島ヘ一往復便の定期便があり、松山へは約一時間、広島へは約三時間かかる。三時間圏を県内にあてはめると今治・新居浜を含む東予一円を包含することになるから、それらの人口を総合すると一五〇万~二〇〇万人の第一次的マーケットを持っているといえる。しかし観光資源としては超A・A・B級にランクできるものがなく、広島・今治にしても中島と競合する観光資源(島しょ、海水浴場、史跡、寺社)を域内や隣接地に持っているので、現在の直接のマーケットは、松山市とその周辺の約五〇万人口とみるべきである。中島町の第一の観光資源は姫ケ浜、ヌカバ、大串海岸などの海水浴、キャンプ場である(写真6-15)。七、八月に姫ケ浜、大串海岸最寄りの長師港へ定期船が特別寄港するが、昭和五六年度で約七七〇〇人が三津・高浜より下船しており、これはすべて外来海水浴客といえる。また八月中に終点の大浦港へ下船する客数は一万二七〇〇人へで、他の月の平均七〇〇〇人と比べると約四五%増になるが、このうち相当人数は海水浴客であるから、合計約一万人が来地することになる。この受け入れ体制は町内旅館六軒(収容人員約一六〇名)、民宿二一軒(収容人員約八五〇名)である。日帰り行程では疲労を感ずる日程なので、一泊二目を見込んで宿泊施設の整備や、催しもの等によっては、なお海水浴客を増やす余地がある。次に夏期以外の観光客誘致が大きな課題であるが、一目清遊コースの設定などが考えられる。目玉観光資源はないが、C級資源にはこと欠かないから、その連携を考えると共に、ベースとして、みかん狩りや季節の魚料理などをふまえて、交通機関も整備する必要がある。考えられるコースとしては、寺社巡拝コース(越智諸島などでは島の四国と称し、団体参拝者が定着している)、史跡めぐりコース、自然観察コースなどである。小・中・高校生の一日遠足コースや、青年団の親睦コースなども考えられ、泰ノ山城跡(二八九m)への展望台設置や登山道整備などは手軽に実施できるのではないか。また六島一町の自治体として観光資源の分散は大きな弱点であるから睦野、本島と神和地区にまとめて対策をたてる必要がある。最近「無人島での生活体験」をキャッチフレーズにして民間団体が、夏季の由利島での宿泊活動を行なっており(写真6―16)、また松山より小・中学生団体の自然観察遠足が実施されているのを見ると、忽那諸島が今様の観光条件を備えていることを再発見するものである。多数の民具や貨幣類などを集めた熊田、正賢寺の懐古館(写真6―17)なども、宝の持ちぐされとならないよう活用の方策を考える必要があろう。

図6-17 中島町の観光資源

図6-17 中島町の観光資源