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愛媛県史 地誌Ⅱ(中予)(昭和59年3月31日発行)

八 伊予かすり会館


 起源

 久万ノ台に伊予かすり会館がオープンしたのは、昭和四八年である。ちょうどその時、松山城のロープウェイが改築中で、伊予鉄観光部の松山市内定期観光バスが松山城を仕方なくルートから外した時であった。松山城の代わりに暫く、伊予かすり会館をルートに入れた。観光客に大へん喜ばれたので、その後、伊予鉄の松山市内定期観光バスの、午前中四時間のAコースに定着した。


 施設

 伊予かすり会館の敷地は七四〇〇㎡あり、もとは白方織物の紡績工場であった。駐車場が広く大型バスが五〇台、普通車が六〇台駐車できる。
 かすり会館の入口に、鍵谷カナの胸像があり、正岡子規の「花木槿家ある限り機の音」の句碑と、花木槿の木が植えてあり、解説がある。花は九月に咲く、白やピンクや紫色があり、生垣にする。この俳句は、明治二八年一〇月七日の作品で、愚陀仏庵で五〇日間滞在中のもの。病気静養中の子規は、気分のよい日に近郊を散策した。この日今出の俳人村上霽月の招きで訪れたときのものである。どこの家も伊予絣を織っている最盛期の頃である。子規の直筆を拡大したもので、『子規遺稿散策集』の中にある。
 かすり会館は午前八時一〇分に開き、午後四時五五分までで、年中無休である。入場料は五〇円、学生四〇円、中学生以下は三〇円であり、団体割引もあり、食事を予約すると入場無料である。見学順路に従いテープで説明しており、見学所要時間は約四〇分である。
 かすりの製造工場(図2-47)では、昔ながらの絣の製造工程を見学する。近代的な整経場・染色場・製織場で実演している。資料展示コーナーには、絵かすりが二〇〇〇点、高機など器械が三二点、民具その他三〇〇点が展示され、解説してあり、パネルや歴史年表により、社会科理科美術科の学習場である。昭和五七年九月一日、第三次増築で、歴史館をつくり、二階に大食堂をつくり、一階の大食堂と合わすと食堂収容人員一〇〇〇名である。朝食弁当も用意し、昭和五〇年から弁当「サ
ラヤ」を経営している。
 歴史館も充実し、高機(写真2-29)・糸車・抒・民具(写真2-30)など伊予絣に関するものを数多く展示している。芳野ヤスヨ(明治三二年生まれ-)が高機でフトン柄を織って見せる(写真2-31)、阿波の天然藍による染色(ほんだて)を実演する。出口に近いところに、絣の直売所がある。店頭に反物・ネクタイーハソドバッグなどのかすり製品から、絣せんべい・絣まんじゅう、人形、絵葉書、書籍なども販売している。伊予絣の着物や洋服を着たマネキン人形もずらり並んでいる。


 観光客

 定期観光バスよりも貸切バスが多く、昭和五六年度には一日平均二五台で、多い日は四〇台二〇〇〇人も入場した。年間入場者は、昭和五四年が三〇万、同五五年三四万余、同五六年が三一万六〇〇〇人であった。このほか学生生徒の見学者もあり、産業博物館の役を果たしている。県や市のものでなく、白方興業の経営で、生産から直売しているので有利である。一族が協力し、分担していて経営が健全である。また伊予鉄の定期観光バスのルートであり恵まれている(図2-48)。

図2-47 絣の製造工程

図2-47 絣の製造工程


図2-48 かすりの里めぐり

図2-48 かすりの里めぐり