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愛媛県史 地誌Ⅱ(南予)(昭和60年3月31日発行)

一 国道一九七号の改修


 道路整備のあゆみ

 わが国に初めて自動車が輸入されたのは明治後期であるが、急激な自動車の増加をみたのは第二次大戦後である。自動車の急増に対して道路の整備は立ち遅れ、明治時代に荷馬車のために整備された道路がそのまま自動車交通に使われていた。早急に道路を新設または改築する必要性は指摘されたが、そのとき問題となったのは、道路事業を達成する方策の確立と道路整備資金の捻出であった。この二つの問題を解決するため、昭和二七年道路法が全面的に改正され、新たに有料道路制度が確立された。道路法は、道路の種類を一・二級国道・都道府県道・市町村道に分けて、全国的な道路網を構成しようとするものであった。また、料金が徴収できる道路の建設を認めた有料道路制の採用も、拡大する道路整備需要に応じることはできなかった。
 道路法の改正によって、県内では一級国道として一一号と三三号、二級国道として五六号・一九二号・一九六号が指定され、それぞれ一次改築が行なわれてきた。一次改築は、自動車交通の用に供するため道路の線型を修復するとともに、道幅を拡げ舗装することを目的としたものであった。幹線道路としての国道の多くがすでに一次改築を完了し、さらに現在はバイパス建設などを主に二次改築が進んでいるのに対して、一般に「イクナ国道」と呼ばれた一九七号(高知市と大分市間)は現在一次改築中である。

 一九七号の改修

 現在の一般国道一九七号は、昭和三七年五月政令により二級国道大分・大洲線(路線番号一九七号)として指定され、その後四〇年三月一般国道一九七号となった。また四五年四月に高知県須崎市―大洲市間が国道に昇格され、一九七号に編入されて起終点が高知市、大分市となり現在に至っている。
 高知市を起点とし、大分市を終点とする一般国道一九七号は、高知市より四国南岸を土佐湾に沿って須崎市までは一般国道五六号と重複し、須崎市より分れて四国西南内帯部に入り、高知県高岡郡檮(ゆす)原町、愛媛県北宇和郡日吉村、同東宇和郡城川町・野村町、同喜多郡肱川町・大州市・八幡浜市、同西宇和郡保内町・伊方町・瀬戸町・三崎町から更に豊予海峡をフェリーで渡って(四四年四月フェリー就航)、大分県北海部郡佐賀関町に上陸し、大分市に至る延長二七九・四㎞(海上三一㎞を含む)の路線で、四国西部と九州中部を結ぶ唯一の主要国道である。
 一般国道一九七号の佐田岬半島における地質の概要は、中央構造線の南側に沿って東西に細長く分布する三波川変成帯に属している。この三波川帯の結晶片岩は佐田岬半島では緑色片岩・黒色片岩で構成され、黒色片岩であるところは風化土も厚く、すべり破壊の傾向が強い。
 四六年五月に開通した県下最長の夜昼トンネル(二一四一m)の完成までは、国道とは名ばかりで曲線が多く、幅員も狭く(最小幅員三m)、台風時においては地すべり、崩壊などによる交通遮断を起こし、幹線道路としての機能を果たせない状況であった。地域住民及び輸送関係者から、早急な改築が熱望され、建設省大洲工事事務所では四一年度から調査を開始し、四五年度以降第六次道路整備五か年計画に基づき、八幡浜市以西を直轄事業として改築工事に着手し、五三年度以降第八次道路整備五か年計画をもって、全線改築工事を実施し、六二年完成を目途としている。

 八幡浜バイパスと大洲西道路

 旧国道は八幡浜市の中心部において幅員約四mの一方通行区間を有する非常に交通の輻輳する所であった。新ルートの八幡浜バイパスは、これを避けて市の中心部の東西方向に張り出している愛宕山にトンネルを抜き、市中心部をバイパスしようとするものである。当バイパスの完成により、道路延長は実質で一一四〇m、所要時間は約五分短縮された。工事は四八年一一月から五一年八月におよび、愛宕山トンネル(六五〇m、幅員一〇m)と道路改良(四九〇m、幅員一一・五m)工事であった。
 大洲西道路は、大洲市北只と平野を結ぶ長さ約二・四㎞で、このうちトンネル延長は一〇七八mである。五四年一〇月に着工し、総工事費約三五億円をかけて三年がかりで完成し、五七年一二月に開通した。国道一九七号は大洲市内で国道五六号と交差し、幅員が狭いうえ(最小幅員五・五m)、直角曲りが三か所もあるなどで交通渋滞が続いていた。大洲西道路はこれを解消するために建設されたもので、市街地を一日約九九〇〇台通っている車が三〇〇〇台ほど減り、市街地の交通渋滞はかなり解消されるとみられる。特に、宇和島方面から八幡浜・西宇和方面への交通は大洲市街地を通行する必要がなくなり、その効果は大である。

 佐田岬半島部の改築工事
 
 八幡浜市矢野町から西宇和郡三崎町に至る延長五四・二㎞(旧道)の間は、愛媛県により改築がなされた八幡浜市大平から保内町川之石間三・〇㎞(名坂トンネルの完成が三五年一二月)を除いて平均幅員三・六mといった狭小な道路である。計画路線選定のための調査は、四一年度から開始され、四八年度の瀬戸町塩成から三崎町釜木間の実測調査で終了したが、この間、四五年度に八幡浜市で改築事業が開始されたのに引き続き、調査の終わった区間から順次事業化されていった。計画線の選定にあたっては、現道が海と山とに囲まれた狭小な平地に密集する人家の間と地すべり地帯を通り、また、人家のない所は、切り立った山が海に迫るなどの悪条件が累積するため現道を改築対象とすることは適当でないと判断され、佐田岬半島の山頂付近を縦走するスカイラインルートに決定された。これにより、トンネルが大峠トンネル(一〇八一m)外二〇か所で延長八・一㎞(表3―29)、橋梁が塩成大橋(二二〇m)外三二か所で延長二・三㎞計画され(表3―30)、総計画延長は三五・三㎞(外に県施工済三・〇㎞)となり、旧道と比較して約一六㎞が短縮される(図3―14)。
 五九年三月末に瀬戸町川之浜から三崎町名取まで延長五・九㎞が完成し、これまでに供用されていた一九・五㎞を合わせると二五・四㎞が供用開始されたことになり、全体の約六五%に達している。今回供用開始された川之浜―名取間は延長五八八〇m(うちトンネル三か所・八八五m、橋梁七か所・四四三m)と旧国道との取り付け道三六八〇mで、幅員は九・五mの二車線である。今後は八幡浜―三崎間のほぼ中央部にあたる伊方町西部~瀬戸町東部の工事が残るのみとなっているが、この部分は標高二〇〇~二五〇m付近を走るスカイラインルートにあたり、完成時にはその眺望のすばらしさが期待されている。しかし、沿道の主要集落は沿岸にあり、集落からの距離が大で、取り付け道路の建設が重要課題となっている。










表3-29 国道197号(八幡浜~三崎間)のトンネル一覧(改築分のみ)

表3-29 国道197号(八幡浜~三崎間)のトンネル一覧(改築分のみ)


表3-30 国道197号(八幡浜~三崎間)の橋梁一覧

表3-30 国道197号(八幡浜~三崎間)の橋梁一覧


図3-14 国道197号(新・旧)と橋梁およびトンネル

図3-14 国道197号(新・旧)と橋梁およびトンネル