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愛媛県史 地誌Ⅱ(南予)(昭和60年3月31日発行)

二 造船業


 造船業の発展

 八幡浜市と西宇和郡の周辺各町の工業出荷額を表3―16からみると、八幡浜市が三〇〇億円と圧倒的に多く、次いで隣接する保内町・三瓶町が続き、他はほとんど問題にならないくらいである。次に表3―17から中心の八幡浜市の工業出荷額の構造をみると、輸送機械が九三億円で第一位で全体の三〇・六%を占めている。本市における輸送機械はほぼ一〇〇%が造船業といってもよい。次いで、水産都市としての性格が最もよくあらわれている食料品製造業が続き、事業所数、従業者数では輸送機械(造船業)を上まわって第一位である。出荷額の第三位は繊維、衣服が続いている。
 八幡浜における近代工業の中心としての造船業の歴史は浅く、昭和八年に八幡浜運輸(株)のドック部門が粟之浦で木造船(漁船二〇~五〇トン)を建造したのに始まる。すでに明治時代から小型漁船の建造は行なわれていたが、それは船大工による伝統的個人企業にすぎなかった。昭和一二年に成瀬倉太郎が八幡浜運輸の造船用地を買収し、木造船の建造及び修理を始めた。これが現在の(株)栗之浦ドックの前身である。一六年に戦時中の企業強制統合により、栗之浦ドックの造船部門は八幡浜造船と合併し、鉄工部門は八幡浜内燃機鉄工所に統合し、二四年の統合解除まで続いた。二五年には資金一二〇万円で法人組織になり、有限会社粟之浦ドックとなった。三三年には木造船から鋼船へ転換して、同じ栗之浦に第二工場の用地を購入し、三五年に第二工場を建造用、第一工場を修理専用として本格的に小型鋼船建造に切り替えて第一船を進水させた。さらに、四三年に株式会社として経営を近代化させ、以後拡張を重ねて現在に至っている。

 造船業の現状と関連産業

 五九年三月現在、(株)栗之浦ドックは資本金二六〇〇万円、従業員は一般社員、社内工、臨時工合計で三一〇名となっている。工場は五二年に保内町の楠浜造船所を合併して第三工場として拡大し、年間生産能力は新造船約一万五〇〇〇総トン(最大建造G/T八二〇〇)、修理船約一〇万総トンとなっている。造船業の特色として幅広い下請企業群を有し、パイプ、ブロック加工を中心に、地元の八幡浜のみでなく北条市から宇和島に至る範囲に約二〇社の下請企業が分布している。さらに、五五年に倒産した宇和島市の三好造船(株)も、現在栗之浦ドックと関連企業(保内重工・八幡浜汽船・八幡浜内燃機)によってその再建を進めており、受注や原材料の購入はもとより、下請企業まで支援している。
 次に八幡浜市とその周辺では造船業以外に、繊維、食料品、電機などが注目されるが、その代表的企業をまとめたのが表3―18である。繊維、食料品などは別項で述べるので、ここでは造船関連を中心に残りの工業について概説する。
 鉄工業は明治末期に大阪方面から導入された機械設備と共に移ってきた職人によって始められたものが多い。主に製糸用機械の修理、近江帆布の織機の保全に従事した。大正の中ころ、船舶に焼玉エンジンが使用されるようになって五、六社の鉄工所が船舶関係や産業機械の生産を開始した。昭和一五年ころには約三〇社に発展したが、戦時中は企業統合して軍需品(各種砲弾など)を生産していた。戦後は衰退したものが多いが、現在戦前から続いているものは、八幡浜内燃機と愛媛鉄工所で、工作機械・水産加工機械の製造やエンジン類の修理などを行なっている。その他戦後の建築業の発展で生まれた鉄構工業部門主体の企業が若干みられる程度である。



表3-16 八幡浜市と周辺町村の工業

表3-16 八幡浜市と周辺町村の工業


表3-17 八幡浜市の工業の構造

表3-17 八幡浜市の工業の構造


表3-18 八幡浜市と周辺町村の製造業の主要企業

表3-18 八幡浜市と周辺町村の製造業の主要企業