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愛媛県史 地誌Ⅱ(東予西部)(昭和61年12月31日発行)

二 上島諸島の商業

 上島諸島の商業構造

 上島諸島は瀬戸内海の中央、燧灘と備後灘に囲まれた県内最北端に位置し、広島県の因島などと一衣帯水をなす。
 本稿では行政的に越智郡の内、魚島村を除き、弓削町・生名村・岩城村を主にとりあげる。上記三町村は、地理的位置が本県としては辺境であり、広島県の因島市や尾道市の生活圏的色彩が濃いことは、横山昭市の報告(『愛媛県上島諸島』)などに詳しいが、越智諸島の商業の概況を示したのが表五―65(5章四節参照)である。県全体としては一〇年間に商店数は減少したが、従業員数、販売額は増加している。町村別では弓削町・生名村が商店数、従業員数が減少し販売額も伸び悩みという同様な傾向を示している。これに対し岩城村・魚島村は商店数は減少又は停滞しているが、従業員数、販売額は増加し、特に販売額の増加の割合は著しい。小売商業における地域住民の満足度を示す支配率はいずれの町村も五〇%を割っており、町村住民の需要の地域外流出の多いことを意味している。この原因を業種別にみた場合、広域町村圏内の町村の現況から判断して、飲食料品業種以外の業種の消費購買力を地元商店が吸収できていない事に起因しており、逆にみると、弱体な地域商店街に対する大型店(農協・生協)の進出である。需要の流出先は当然、本地域と地理的にも経済的にも、県境をはさんで密接に関連をもつ広島県因島市である。表5―65(五章四節参照)の販売額の増加の伸び率の高低は因島市への市場距離の遠近と深い関係のあることを示している。

          
 地域商店街の特性
          
 弓削町には密度の高い商業集積力のある商店街は形成されていたいが、上島諸島としてはかなり商店の集積された地区として下弓削商店街がある。
 町人口の五五%が集中する下弓削商店街は島外交通の表玄関、弓削港と町役場のある総合庁舎を中心に各種公共機関が集中し、町内の行政・経済・教育などの中心的条件を備えている。商店街は表5―66(五章四節参照)の農協マートと、日立造船因島生協の販売所という二つの核店舗を中心にしており、海水浴客など島外観光客の通過場所に立地する条件等にも恵まれ、下弓削地区の商業の専業比率は八一・四%と町村部としては非常に高い。しかし、道路の幅員が狭く、商店街への誘導施設(駐車場など)がないため商店密度が低い。このため、業種別では衣料品などを中心に本地域小売業の不振を生み、対岸の因島市への大型店の進出もあって、地区商店街の吸収力の低下を招いている。
 次に生名村は弓削町以上に因島市の影響と大型店のシェアの高さ表5―66(五章四節参照)が大きな特色である。生名村の人口は五〇年をピークに減少が続く中で、産業別就業構造は第二次産業五一・九%、第三次産業四一・二%と産業の高次化率が高く、総就業者数の三分の二が村外に通勤している。主に因島市の日立造船とその関連産業へ就職しているが、造船不況から個人所得が伸び悩んでいるため、地域の商業活動に大きな影を落としている。消費者調査から村内での購買割合をみると、地元での買物利用は全体の三分の一にも達せず主に因島市へ流出していることがわかる。因島市とは海を隔てて、連絡フェリーの所要時間五分(立石~土生間)という指呼の間にあり、このため、食料品でさえ三〇%近くは島外で購入する。従って、小売中心性は三六・九%と非常に低い。このため生名村には商業集積地の形成はみられない。表5―66(五章四節参照)のごとく、日立造船因島生協の生名村販売所(立石)が四分の一以上の販売シェアを占めていることが商工会資料からうかがえる。立石には日立造船因島工場の訓練校や外国研修生用の住宅があったが、造船不況のため現在廃止されている。さらに恵生や西浦の日立造船の住宅団地も因島工場の新造船部門廃止(六二年三月未)に伴う二一〇〇名の合理化で島内の小売業の購買力は、さらに低下することが確実である。生名村の商業は大きな転換点にあるといえる。
 岩城村についても購買力の流出はきわめて大きいが、弓削や生名村と異なって生協はなく、岩城港近くに立地する農協マーケットが中心で、これ以外に商業と商業地域の形成上大きな特色はない。