データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

愛媛県史 地誌Ⅱ(東予西部)(昭和61年12月31日発行)

四 上浦町歴史民俗資料館

 多々羅地区開発事業
  
 昭和五七年四月、瀬戸内の青い海を見おろす多々羅の丘に白亜の美しい建物が完成した。上浦町歴史民俗資料館である。多々羅岬は上浦町のほぼ中央部で、対岸の生口島に向かって突き出した岬で、生口島と大三島とを結ぶ多々羅大橋の架橋地点である。眼下には瀬戸の青い海が輝き、周囲の平地には緑の農園と点在する民家をぬって白いハイウェイが南北にスロープを描いている。北は上浦町の玄関である井口港ヘ一㎞、南は鼻栗瀬戸をまたいで伯方島に連なる大三島橋へ三㎞の地点にあり、交通至便でかつ絶好の展望地で、甘崎古城島の眺めもよい。 昭和五五年に架橋地点周辺の県有地四万三二九一平方mを買収したのにはじまり、着々と土地造成事業や各種の整備事業が進められてきた。五七年には当時の教育長が「名勝の地、多々羅の丘は、歴史文化、スポーツとうるおいと安らぎを与える環境となるよう目下鋭意努力中であります。」と述べたように、現在では上浦町歴史民俗資料館を中心に自然環境活用センター、テニスコート(三面)、緑地広場(芝植、滑り台、ネットクライミング、休憩所)、キャンプ場、遊園地(ヘリコプター展示)、海水浴場、展望台、駐車場(一四五〇平方m)等の施設が整備されている。


 上浦町歴史民俗資料館

 上浦町では、大三島、大山祇神社の「古代文化」に呼応して多々羅架橋地点に「現代文化」の拠点づくりと、安らぎと憩いの場建設に努めてきた。その中心になるのが五七年四月二五日に開館した上浦町歴史民俗資料館(書の殿堂 村上三島記念館)である(写真5-41)。鉄筋コンクリート造り一部二階一二九三・九二平方mの文字どおり白亜の殿堂であり、内部もゆったりとした構造である。一階一二〇七・八〇平方mは展示室、収蔵庫のほか管理室、ロビー、便所等であり、二階八六・一二平方mは展示資料室、収蔵庫等である。歴史民俗資料として石器、土器等の遺物(井口小学校や榎坂周辺から発掘された)、甘崎城に関する資料(城跡から出土した瓦や壷など数多くの遺産とともに、ありし日の城郭図を復元展示)、手あかのついた民具、用具、玩具、『越智嶋旧記』等の古文書の数々を含め先人の生活をしのぶ貴重な資料が多数展示、保存されている。また、書及び書道関係コレクションとして、西川寧・安藤聖空・日比野五鳳・村上三島をはじめ日本全国の有名書家の名作多数と書道関係の貴重な資料や書籍が展示収蔵されている。ほかに、中国にも数少ない玉で描かれた大屏風、玉鐸の書、中国明代からの名硝、名墨、千余冊の新旧の書を展示している。現在保存点数は、本三一四四、民俗資料一七〇〇(うち五〇〇は一般家庭からの借用)、書一四二〇点である。
 開館記念特別展として「現代日本名家書展」、五七年夏は「村上三島古稀記念特別書展」、秋には「関西女流作家六〇人展」を開催したのに続いて、年中各種の有名書家の書展を開催している。
 上浦町歴史民俗資料館に隣接する自然環境活用センターは、農林漁業の振興を図り、都市と農村との交流を深めるために作られた施設で、鉄筋コンクリート造り二階建六八八平方mで、ホール、和室の娯楽室、休憩室、宿泊施設等の設備がある。研修の場や芸術、歴史民俗探求の場として幅広く活用されている。ホールには村上景雲画伯の日本画のほか絵画、町内資料等が展示されている。