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愛媛県史 地誌Ⅱ(東予西部)(昭和61年12月31日発行)

一 概説

 高縄山地の北東部を占めるこの地域は、今治平野を潤す蒼社川と頓田川の上流域の農山村である。領域内の町村には朝倉村と玉川町があるが、そこに居住する住民は経済的にも文化的にも今治市の都市機能の恩恵を受けており、この地域は今治市の都市圏に属するといえる。
 この地域の山地は蒼社川の源流地帯では標高一〇〇〇mをこえるが、川を下るにつれて標高は低くなり、五〇〇~六〇〇m程度の中山性の山地が卓越する。蒼社川の上流に位置する玉川町には、蒼社川の本・支流ぞいに樹枝状の谷底平野が発達し、頓田川の上流の朝倉村には扇状地性の平野がひらけ、そこが住民の重要な生活舞台となっている。山地は中生代の領家帯の花崗岩よりなり、四国山地中軸部のように地味肥沃ではないので、山腹斜面には集落や耕地はほとんどみられない。
 この地域の主産業は農林業である。昭和三五年の朝倉村と玉川町を合わせた産業別人口の構成比は、第一次産業七六・三%、第二次産業八・六%、第三次産業一五・一%であり、第一次産業の比率が圧倒的に高かった。しかしながら、この地域も昭和三五年以降の高度経済成長期の間に第二次・第三次産業に従事する者が多くなり、昭和六〇年の産業別人口構成比は、第一次産業二八・五%、第二次産業三三・二%、第三次産業三八・三%となっている。第二次、第三次産業の就業者の増加は、域内に商工業が発達したことを意味するのではなく、今治市への通勤者が増加したことによるものであり、高度経済成長期の間に今治市の都市化の影響を強くうけた結果である。また奥地集落のなかには、この間に挙家離村が続出し、廃村にたち至った集落もある。住民の離村先は大部分今治市であり、この点からも今治市の影響をうけているといえる。
 この地域の農林業は、昭和三〇年代までは谷底平野での米・麦の生産、林野を利用した薪や木炭の生産に特色があった。農産物や林産物の市場は今治市であり、この地域は今治市の近郊山村としての性格をもっていた。昭和四〇年代になると、燃料革命のあおりを受けて薪や木炭の生産は衰退し、また米の生産調整のあおりを受けて、米・麦の生産の比重も低下する。農林業に生活の糧を求めていた住民のなかには、今治市への通勤兼業に向かうものが増加する反面、新しい農林業に活路を見いだそうとしているものもある。新たに登場した農林業としては、玉川町・朝倉村の野菜栽培や、玉川町の生しいたけの生産に特色がある。野菜栽培では冷涼な気候を利用した夏秋きゅうりの栽培に特色をもっていたが、近年はいちご・トマト・グリーンアスパラガスなどの生産も増加してきた。生しいたけの生産は木炭の原木として植栽されていたくぬぎ林の有効利用といえるが、ビニールハウスを利用した冬季出荷の不時栽培に特色をもつ。野菜や生しいたけの出荷先は、今治市場や大阪市場であるが、それは今治市場を近くに控え、また今治港を介して大阪市場と容易に結合できる地理的利点を生かしているといえる。