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愛媛県史 地誌Ⅱ(東予西部)(昭和61年12月31日発行)

二 高縄半島の道路交通

 高縄半島の道路

 高縄半島には、古くは官設の道である南海道があった。これは讃岐の国府(坂出市)から伊予の国府(今治市内と推定されている)へ至る官道で、周桑平野を北西に進み、大明神川を渡って伊予の国府に至ったものと推定されている。国府以西にも道は続いていたが、それらの地域は官道の後にあたるため道後と考えられていた。この道は、その後も高縄半島沿岸部の主要交通路となっており、特に軍事上大きな意義をもっていた。藩政時代から明治時代にかけては、一般に今治道、西条道と称せられ、松山・今治・西条にいたる道として重要性は増し、街道沿いには宿場町や在町も栄えた。
 現在、高縄半島にある主な道路は、国道二路線(一般国道一九六号及び三一七号)、主要地方道三路線及び一般県道が一六路線ある(図2―60)。これらの多くは藩政時代からあったものであり、昭和三〇年代頃までは、ほぼその原形をとどめていたが、その後自動車交通の時代に対応するために、拡幅、舗装、付け替え工事などが急速に行われてきた。しかし、現在では交通量の激増により、都市周辺の交通混雑は再び激しくなってきた。このため、交通渋滞の緩和と事故防止を目的として、北条市バイパス・今治バイパス、松山環状線などをはじめとするバイパスの建設工事が積極的に進められている。


 二級国道一九六号と東伊予有料道路

 現在の一般国道一九六号は、松山を起点として、周桑郡小松町に至る延長六七・三㎞の幹線路線である。この路線は、大正九年(一九二〇)四月一日旧道路法の施行と同時に認定された県道松山今治線・今治壬生川線・小松壬生川線の三路線が母体となっている。その後、昭和二八年五月二級国道松山小松線として指定され、次いで四〇年三月二九日一般国道一九六号となった。
 この路線は長い間、県の手によって維持管理・改良が行われてきた。三五年から四〇年にかけての改修工事はめざましく、この間に松山市~北条市間及び今治市~小松町の大部分で改修が行われ、工事区間は約四〇㎞に達した。この結果、通行が不便であった七曲(松山市)、粟井坂(松山市・北条市)、河南(今治市)の悪路が解消され、さらに、四〇年代には浅海~菊間にいたる海岸道路や菊間町内の狭あいな道路も改修された。
 本路線の場合、三〇年代における最も重要なできごとの一つは、東伊予有料道路も開通である。この道路は、今治地区と西条地区を結ぶ有料道路として、二年の歳月を費して日本道路公団によって建設され、三五年一〇月開通した。有料道路の区間は、今治市孫兵衛作から周桑郡壬生川町壬生川(現東予市)にいたる延長六・〇五㎞(幅員六・五m)であり、総工費二億九七〇〇万円で四国最初の有料道路として注目をあびた。この道路は、今治~壬生川間の交通便益をはかるだけでなく、当時の二級国道松山小松線の路線を拡張整備する計画の一環として施行された。開通当時の料金は、トラック一二〇円、乗用車一〇〇円、三輪六〇円、軽自動車二〇円、自転車一〇円であった。また、通行量は一日平均五〇〇~六〇〇台であったが、四八年頃には通行量も急増し、一日平均一万台をこえるようになった。このため、予定より早く四九年四月には償還を終わり、建設省直轄で管理するようになり現在にいたっている。なお、東伊予有料道路として供用していた時期の総通行量は二二七〇万六二九一台に達している。         


 一般国道一九六号

 四〇年度から従来の一級国道・二級国道の区別は廃止され、両者は合わせて一般国道として一本化された。これに伴い、二級国道松山小松線も、同年三月二九日から一般国道一九六号となった(表2―72)。以後も県による管理が続いていたが、四二年七月に松山市二番町~北条市間及び今治市~周桑郡小松町が指定区間となり、続いて四九年四月には、今治市の一部(延長五・七㎞)を除いてほとんどの区間が指定区間となり、建設省の直轄管理に移行した。この結果、道路の改修は大きく進展したが、自動車の普及に伴い通勤圏・物資流通圏が拡大したため、交通量も著しく増大している。
 一般国道一九六号においても、松山・今治両市の周辺部の交通量の増大は著しく(表2―71)、今治市の場合、三三年には一二時間に通行する自動車はわずか五二三台であったが、四九年には一万台をこえ、現在では一万五〇〇〇台に達している。このことは松山市の場合も同様であり、市街地から離れている堀江町においても、現在では一二時間通行量は一万五〇〇〇台に達している。一日の通行量は二万台をこえるような状況で、特に朝夕の通勤時の混雑はきわめて著しい。また、市街地の出入口にあたる山越では、一日通行量は三万台をこえ、慢性的な交通混雑に見舞われている。
 今治市の場合も朝夕の通勤時間帯は交通量が多くなるが、今治市宅間の時間別交通量をみると、午前七時から八時にかけては、松山方面から今治市内に向かう車の流れが非常に多い。しかし、午前八時以後から正午頃までは、今治市内から松山市へ向かう車が多くなっており、会社・商店等の業務用自動車が動き出していることを示している。午前一一時から正午にかけて、一時的に自転車や歩行者の数が多くなっているが、この多くは主婦等の買い物によるものであった。正午から午後四時までは、午前中の流れとは逆になり、今治市内に向かう車が多い。これも午前中と同様、会社・商店等の営業活動と関連した動きである。午後四時以後、通勤者や通学生の帰宅に伴い、再び今治市内から郊外に向かう車の流れが多くなっている(図2―61)。しかし、この時間帯の通行量は、朝のラッシュ時ほどの混雑ではない。朝のラッシュ時の通行量は、昼間通行量の二倍以上に達しており、しかも、児童・生徒の通学時間帯とも重なっているため、事故防止が大きな課題となっている。これらのことは、松山市でもほぼ同様の傾向である。


 国道バイパス等の建設

 交通事情の悪化を防ぎ、スムースな流れを確保するために、建設省では一般国道の二次改築を四八年以後、順次計画的に行ってきた。二次改築の主なものは、北条市バイパス・今治バイパス、松山環状線及び松山北道路の施行である。
 北条市バイパスは四六年度の調査開始、五五年度の工事着工以来、現在も施工が続けられているが、一部区間については五九年度より暫定二車線で供用が始まっている。北条市内における一般国道一九六号は、中予と東予を結ぶ幹線道路の重要な部分であるが、近年の交通量の増加は著しく、特に北条市の辻町や本町などの商業地区では道路幅員が六・五~七・七mと狭いこともあり、交通混雑は大きな問題となっている。また、市道と交差している個所も多く、さらに道路が市の中心部で直角に曲っていることもあって交通安全上の問題も多い。日中でさえも慢性的に交通渋滞が発生している状況に対処するため、北条市河原で一般国道一九六号より分岐し、北条市下難波で再び国道に接続する延長六・一㎞のバイパスの建設が進められている。
 今治バイパスは四三年度の調査開始に始まり、五三年度には野間地区から工事が始まった。今治市内における一般国道一九六号は、郊外の部分で特に幅員が狭く、二車線が確保できない個所もある。そのうえ、つづら折りが多く、歩道も設置されていたいため道路としての条件はきわめて悪い。このため、今治市宅間で現国道から分岐し、今治市の南部を東進し、同市長沢で現国道に接続する延長一三・四㎞のバイパスを建設し(写真2―44)、今治市全体の交通混雑の解消を地域の生活条件の整備を図ろうとするものである。なお、すでに一部の区間については、六〇年度より暫定二車線で供用が開始されている。
 松山環状線は四〇年に延長一一・五㎞の都市計画決定がなされ、すでに六・五㎞が松山市等の手によって施工済みであるが、建設省では未施工の西部環状線を直轄施工することにしている。松山環状線は一般国道一一号・三三万・五六号・一九六号等を結ぶ通過道路として、松山城を中心に半径約二㎞の半円形で結んだ幹線道路であり、竣工後は松山市内の交通混雑の緩和はもちろんのこと、各々の一般国道の機能が飛躍的に向上するものと期待されている。
 松山北道路は、松山市東長戸四丁目から松山市平田町にいたる延長一・六㎞であるが、当区間は県内においても屈指の混雑を呈している所である。このため、松山北道路として現国道沿いにその両側を拡幅し、幅員を二五mにして整備しようとするものである。


 一般国道三一七号

 この路線は、松山市から広島県尾道市きいたる延長八一・二㎞(うち海上部は四・〇㎞)の一般国道である。四五年四月一日に今治市から尾道市にいたる大島・伯方島・大三島・生口島・向島経由の区間が、一般国道三一七号として指定され、その後五七年四月一日に松山市から今治市にいたる区間が追加指定された。しかし、本路線のうち、今治市と松山市との境界にある水ヶ峠付近は、急傾斜の続く難所であるため、約三・七㎞が未開通となっている。
 本路線は松山・今治両都市圏を最短距離で結ぶものであり、定住基幹道路として、地域の生活、経済、文化の交流及び産業等へも大きく貢献するものと期待されている。同時に、本路線は瀬戸内海大橋(尾道―今治ルート)に直結した国土幹線道路として、中国・四国の広域交通ネットワークを形成し、西瀬戸経済圏の発展にも寄与するものと期待されている。こうしたことから、「国道三一七号松山・玉川・今治線建設期成同盟会」(三九年に結成)では、各方面に対して精力的に早期開通整備を働きかけている。


 主要地方道と一般県道

 現在、高縄半島にある主要地方道(三路線)及び一般県道(一六路線)の多くは明治時代からの道路を母体としており、旧道路法の施行に伴い、一般県道として認定したものがほとんどである。
 主要地方道のうち、大西波止浜港線と今治波方港線は臨海道路であり、造船所やフェリー基地に行ききする車が多い。北条玉川線は、大正一二年(一九二三)四月一日に認定された一般県道河野今治線及び正岡北条線を母体としている。この路線は北条と菊間や今治を結ぶ道路として、かつては牛馬安全の「奈良原参り」や菊間歌仙の「お滝参り」に、牛馬を伴った農民が往来していたが、農業の機械化で牛馬の姿が消え、この習俗もすたれてしまった。北条市と越智郡菊間町の境にある峠は、上り下りが死ぬほど苦しい難所であったことから「死入道峠」と呼ばれていたが、現在では「笹ヶ峠」と地形図に記されている。北条玉川線は、以前は一般県道三芳北条線と称されていたものの西半分である。東半分は現在一般県道東予玉川線として認定されており、鈍川温泉や玉川ダムに通ずる道路となっている。また、東予玉川線は、明治から大正にかけて、黒谷(東予市)や上朝倉(朝倉村)の渡海屋(岡渡海ともいう)が、毎日馬車や荷車をひいて、今治方面へ買い出しに行ききした道でもある。
 一般県道桜井山路線は、古代の官道の一つである南海道に比定される道でもあり、近世では遍路道として、国分寺等へ参詣する人々が行き交う道でもあった。孫兵衛作王生川線は大正九年(一九二〇)四月一日に一般県道今治壬生川線として認定されたものである。この道路は昭和二八年五月一八日に二級国道松山小松線として指定されたが、東伊予有料道路の国道移管に伴い、再び一般県道となり現在にいたっている。一般県道は、宮崎波方線や糸山公園線など近年新たに認定されたものも含めて、地域の住民生活にとって重要な基幹道路となっているものが多く、生活基盤向上、交通安全等のために改良工事が各地で施工されている。


 高縄半島の主な登山道路

 高縄半島は一般国道一一号とほぼ平行している中央構造線以北の山塊で、一〇〇〇m級の山々を主峰としている。主峰の中でも高縄山(九八六m)、楢原山(一〇四一m)、福見山(一〇五三m)は、いずれも信仰の対象となる寺社があったことや山頂からの眺望が良いこともあって、古くから山を訪れる者が多かった。
 高縄山の登山コースには、現在ではハイキングコースのほかドライブコースもある。ドライブコースには高縄スカイラインコース(北条市柳原より)、高縄・奥道後ドライブコース(北条市九川より)、宝坂ドライブコース(北条市立岩より)が設けられている。ハイキングコースには、猿川コース及び院内コースなどがある。山頂近くにある高縄寺に参詣する善男善女とともに、キャンプに訪れる若者達の姿も多い。
 楢原山(奈良原山とも書く)は、かつては山頂に祭られている奈良原神社が牛馬の守護神であるという信仰が強かったため、旧暦の丑や午の日には牛馬を引く参詣人が多く行き来した。現在はハイキングの適地として訪れる人も多く、今治方面からは鈍川下木地コース・上木地コース・竜岡中村コース・カ石コースなど、かつての参道がハイキングコースとなっている。この他、北条市猿川や松山市湯之谷からのコースもある。鈍川側の参道には南朝ゆかりの伝説に関連する「千疋のサクラ」(国指定名勝)と称される山桜の老木林の名所があった。
 福見山は石手川と重信川の分水嶺で、古来霊山として知られてきた。山頂の西方には俵飛山福見寺があり、本尊の聖観音は水月観音とも呼ばれ広く信仰されている。現在の登山コースには、重信町側からは河原樋コース及び神子野コースがあり、松山市側からは湯山の福見川コースがある。

図2-60 高縄半島の道路

図2-60 高縄半島の道路


表2-71 一般国道196号の12時間交通量の推移

表2-71 一般国道196号の12時間交通量の推移


図2-61 今治市宅間における昭和60年7月3日(水)の時間別交通量(一般国道196号)

図2-61 今治市宅間における昭和60年7月3日(水)の時間別交通量(一般国道196号)


表2-72 高縄半島の道路とその変遷

表2-72 高縄半島の道路とその変遷