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愛媛県史 地誌Ⅱ(東予西部)(昭和61年12月31日発行)

四 今治市のガス工業

 ガス事業の歩みと四国ガス

 日本に鉄道が開通して十数日の後、明治五年(一八七二)九月二九日には高島嘉右衛門が横浜でガス事業を開始し、ガス灯を点じた。続いて明治七年に東京にも東京商業会議所の手でガス灯が点じられたか、その後ガス事業はいっこうに進まなかった。これはガスの利川が単に照明に終始していたこと、その照明にはより便利な電灯か輸人されたので、電灯に押され気味であったことによるものと考えられる。ところが明冶の末に至ってガスマントルが発明せられ、ここにガスブームが起こったのである。ガスマントルでガスの炎先を包むと、青白いやおらかな美しい光を放つので匠人の注目の的となった。このガスマントルの魅力は、この頃の電球による灯火をはるかにしのぎ、全国各地にガス事業が起こるに至った。すなわち、明治四三年(一九一〇)には京都・広島・仙台など一一の都市に、四四年には高松・静岡・熊本外二二市、翌大正元年には松山・丸亀・高知外二三都市にガスが供給され、ガス照明百年祭がイギリスで盛大に行われた大正二年(一九一三)には佐賀・富山・松本など二二部巾と共に今治市においてもガスの供給が開始されたのであった。
 今治において最初にガス事業の設立を申請したのは、当時全国各都市にガス会社を設立してきた日本ガス㈱の福沢桃介で、明治四五年二月の事であった。しかし地元波止浜財閥の八木亀三郎を中心にガス会社を設立する気運が高まり、主導権は福沢から波止浜財閥へと移った。。方、当時本県においても政友公・憲政会の二政党の対立がはなはだしかったが、今治地方でも政党の色分けが判然としていた。阿部光之助一派は憲政、八木亀三郎を中心とする波止浜財閥は政友会で、事業の上にも両者の対立が表れていた。阿部光之助か愛媛水力を起こして電気事業を創始したのに対し、八木亀三郎中心の政友公の面々がガス事業を起こしたのだともいわれている。このように今治地方のガス事業は政争のおかげで生まれたものだといわれている。大正二年に設立をみた今治ガスは設立早々厳しい事態を迎えた。すなわち、明治の末期は電気よりもガスの時代ともいうべきであった。照明灯としても電灯は明るさと美観においてガス灯におとり、加えてしばしば停電するという不便があった。また動力とするにはガスよりも高価であった。それが大正時代に入ってからは電源開発による電気事業の躍進と、タングステン電球の出現によって従来の欠点を一掃することができたのである。さらにガス事業に困難さを加えたものは第一次世界大戦であった。すなわち、戦時インフレによって諸物価と賃金は高騰を続けたので、原料用の石炭の単価もまた著しい騰貴をしたが、そのコスト高に平行してガス料金は自由に改定することを許されなかったのである。そこで大正六・七年の大戦の末期に至っては遂にガス供給を廃止するもの、あるいは電気事業の会社に合併するものが続出した。しかし、石炭価の上昇以上に他の物価が騰貴するようになってからはガスヘの関心が次第に高くなり、大戦終了後は、炭価は下落の一途をたどっていたが、他の物価は必ずしもこれに並行していない所に、ガス事業は妙味を加えたのである。しかも単なる価格の問題だけでなく、その安全性と簡便さが、当時流行の文化燃料として一般に認識されるようになって、商工業用から更に家庭用に著しく進出するようになった。たとえば、今治地方特産のカマボコや菓子製造にガスの利用をすすめ、製氷にもガスエンジンを、さらに今治市の生命ともいうべき綿業が、昭和初期に手織から力織機への切り替えの時代であった。中小企業の多い当業界は、石炭に比して場所をとらない、設備は簡単、技術者は不要などの点でガスエンジンは、今治、特に機屋に蒸気機関に代わるものとして歓迎された。
 第二次世界大戦の勃発によりガス事業も統制から合併へのコースをたどり、終戦の八月、今治ガスを母体として高知・徳島・讃岐・坂出・松山・宇和島の六つのガス会社を合併させ、二〇年一一月四国ガス㈱と改めて新発足することとなった。これは四国唯一の民間ガス会社である。戦後のガス事業で最大の特色は、原料が石炭から軽油→重油→原油→ナフサ等石油系原料へ変わったことである。これは昭和三三年から始まり、三五年には四国ガスがレトルト油ガス発生装置を完成させ、この傾向は一層進んだ。これは、ナフサ(粗成ガソリン)と呼ばれるオイル(油)に、ポンプで圧力をかけて空気、水蒸気といっしょにオイルガス発生炉に吹き込むと、オイルの四分の一が燃焼し、残りのオイルは温度が上がり約八五度Cで分解してガスになる。このガスは発熱量か少ないので、さらに増熱オイルを吹き込んで一立方mあたり四五〇〇カロリーまで発熱量を増し、この増熱されたオイルガスは、六〇〇度Cぐらいの高温となっているので空気、油、水等で冷やすと、水蒸気が得られる。この水蒸気は油といっしょにガスの原料として、オイル原料としてオイルガス発生炉に吹き込まれる。こうして冷却された増熱オイルガスにはタール、すす、硫化水素など都市ガスとして不都合な物質がまじっているので、すすは洗浄器で水洗いされて除かれ、同時にガスも冷却されてきれいな都市ガスとなる。この都市ガスがガスホルダー(ガス溜)に貯えられ、近くの需要家には直送され、遠い需要家には高い圧力で送り、整圧器で圧力を調整して需要家に使われる。
 ところで、現在の四国ガスの供給エリアは四国四県の九市三町(今治・松山・宇和島・高松・丸亀・坂出・善通寺・宇多津・多度津・琴平・徳島・高知)で、需要家数は一七万八八一八戸(六〇年一二月末現在)である。家庭用が戸数全体の九〇%を占めるが、販売量(約一・五億立方m)の内訳は、家庭用六〇%、商業用三〇%、学校・病院など公共施設用九%、工業用一%である。規模は全国のガス会社二四八社中、上位から一〇番目である(表2―42)。

表2-42 四国ガスのあゆみ

表2-42 四国ガスのあゆみ