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愛媛県史 地誌Ⅱ(東予東部)(昭和63年2月29日発行)

六 三島自然歩道と四国のみち

 三島自然歩道

 伊予三島市の昭和六一年の観光入り込み客は一四万九〇〇〇人で、そのうち最も人出が多かったのは、港まつりの五万人である(伊予三島市商工観光課調べ)。次いで秋まつりが三万人で、桜まつりにも一万二〇〇〇人の人出がみられた。
 観光地別では、金砂湖や富郷キャンプ場にそれぞれ二万人、翠波高原が一万七〇〇〇人で、嶺南地方が伊予三島市の観光地の中心となっている。入り込み客の総数は前年に比べ約五〇〇〇人増加したが、これは主に翠波高原を訪れた観光客の増加によるものである。
 嶺北地方では、法皇山脈北麓に遺跡や名所が点在し、これらを結んで三島自然歩道が作られた。これは、伊予三島市が昭和四九年に市制二〇周年記念として設置した自然遊歩道で、「ふるさとこみち」とよばれた。三島自然歩道は、同市豊岡町の山ノ神公園から下柏町一貫田に至る全長二一㎞で、途中に一八か所の史跡や社寺がある。主な名所・旧跡には、今城宇兵衛遺跡・河岸段丘・恵之久保池・実相寺・新長谷寺・八皇子社・入野池・荒神の森・光明寺(山田薬師堂)と木喰上人遺跡・坂上羨鳥遺跡・真鍋大炊介墓所・松尾城趾・三島公園・横地山古墳・戸川公園・北岡山古墳群・四ツ手山遺跡・経ケ岡古墳などがある。
 三島自然歩道は遍路道や山道など変化に富み、山ノ神公園と恵之久保池に展望台がおかれたほか、五か所にトイレや休憩所が作られた。またコースに沿って各所に案内板や標識が立てられた。
 この三島自然歩道は、その後四国縦貫自動車道(松山自動車道)が建設されたため、各所で寸断された。しかし、三島自然歩道の大部分が、昭和五九年に設置された四国自然歩道として使用されることとなった(図5-44)。

 四国のみち

 四国自然歩道は、四国の優れた歴史的文化遺産である四国八八か所を結びながら四国を一周する自然歩道で、「四国のみち」ともよばれ、昭和五八年度から環境庁の計画に基づいて建設が開始された。
 伊予三島市を通る四国のみちは、「宇摩平野山すそのみちコース」と名づけられ、西端の豊田バス停留所から東端の三角寺まで、約一六・四kmのコースである。このコースの沿線には、実相寺・新長谷寺・八皇子社・光明寺・三角寺などの寺社が並び、また原生林におおわれた荒神の森や、県内屈指の規模をほこる三島公園、桜の名所で知られる戸川公園などがある。
 新長谷寺は、JR伊予寒川駅の南約一・五kmにある古刹で、山の中腹にある本堂まで四〇〇段余の石段が通じている(写真5-23)。寺の縁起によると、養老五年(七二一)元正天皇が徳道上人に勅して大和豊山に長谷寺を建立させた際、十一面観音像が試作された。その後長谷寺に本尊の十一面観音が納められ、試作の十一面観音像は行基によって大阪で海上に流された。それが江の元の浦(現伊予三島市寒川町黒岩)に漂着したが、のちこの地を訪れた行基が一宇を開き、これを本尊としてまつったという。
 新長谷寺は「愛と心やすらぎの寺全国一〇八か寺」の一つにも選ばれ、また同寺が経営するユースホステル(五〇人収容)は、宇摩平野観光の拠点として利用されている。境内には樟・桧・松などの古木が繁り、眼下には松山自動車道や瀬戸内海が見わたせる景勝地である。
 中曽根町にある三島公園は桃山公園ともいい、標高一四〇m前後の丘陵地を開いて造成した公園である。同公園は昭和三一年から整備が進められ、二基の箱式石棺が出土した横地山を中心とする。面積は約七haに及び、園内には復元された箱式石棺のほか、ピクニック広場・遊戯広場・展望台などが設けられ、また一茶の句碑もおかれている(写真5-24)。
 また、三島公園は数百本の桜が植えられ、毎年四月の第一日曜日には桜まつりが催されている。桜まつりでは中央広場とチビッ子広場でもち投げが行われ、のど自慢大会や夜桜見物などでもにぎわう。
 上柏町にある戸川公園は、昭和二八年に完成した銅山川疎水事業を記念して作られ、毎年四月に銅山川疎水感謝祭が行われている。また、中之庄町にある荒神社の社叢は荒神の森とよばれ、中之庄地区の飲料水や灌漑用水の水源地の役をはたしてきた。森のそばに「ふるさとこみち」が通り、緑の少ない伊予三島市の市街地の中では、貴重な緑地帯となっている。
 荒神の森のすぐ近くにある光明寺は、江戸時代中期の僧木喰五行上人が四日間で刻んだという二体の仏像で知られる。それは子安観音像と如意輪観音像で、大正時代末に民芸研究家柳宗悦が木喰上人の人と作品を紹介して有名になった。光明寺は中之庄町にある持福寺の末寺で、地元では山田薬師堂の名で親しまれている。

土居町の四国のみち

 宇摩地方の四国のみちは、伊予三島市を中心とする「宇摩平野山すそのみちコース」のほか、土居町の「旧国道を行くみちコース」と、川之江市の「三角寺から椿堂へのみちコース」がある。
 土居町のコースは、延命寺や近藤篤山生家、村山神社などを通る一〇・一㎞で、国道一一号に並行する旧国道が主である。延命寺は四国番外霊場の一つで、弘法大師が難病者を治したという千枚通しの霊符で知られ、霊符を求めて多くの参拝客が訪れる(写真5-25)。また、同寺のいざり松は目通り直径五m、枝張りは東西三〇m余、南北二〇m余で、樹齢約八〇〇年といわれた老松であったが、昭和四三年暮れに枯死した。
 土居町中心部の旧街道沿線には、古い商店街が往時のにぎわいをしのばせており、また国道沿線には藩政時代から盛んな赤石五葉松の栽培地がみられる。土居町は観光資源に乏しいが、関川河口の蕪崎・藤原地先の海岸では潮干狩が盛んで、入野のすすき原は桜の名所として知られている。また、赤星山と豊受山の間を流れる大地川の渓谷は赤星ライン(皇子渓谷)とよばれ、土居町野田の曽我部友吉が独力で開発した景勝地である。
 川之江市の四国のみちは、四国霊場第六五番札所の三角寺から、椿堂を経て国道一九二号に達する八・五㎞である。このコースは曲がりくねった山道で、途中東金川に休憩所がある。また、川之江市七田の国道一九二号から県境を越えて、四国霊場第六六番札所雲辺寺に至る「雲辺寺へのみちコース」も通じている。雲辺寺までの一二・四kmのうち、県内は四㎞である。



図5-44 伊予三島市の四国のみち(門田原図)

図5-44 伊予三島市の四国のみち(門田原図)