データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

愛媛県史 地誌Ⅱ(東予東部)(昭和63年2月29日発行)

四 土居町の五葉松栽培

 盆栽栽培の推移

 土居町の南に聳える東赤石山と西赤石山一帯には赤石五葉松が自生している。この赤石五葉松は木が矮小で、光沢をおびた短小な葉が密に生じるという特性を持ち、盆栽用にすぐれており、「赤石五葉」の名で全国的に有名である。地元愛好家のなかには、明治初期から山取りした苗を盆栽に仕立てる者がいた。盆栽熱が最初に高まったのは、大正末期から昭和初期にかけてである。当時はもっぱら山取りした苗を畑に移植し、二~三年後に鉢に移して盆栽に仕立て、売り出すものであった。仲買人は土居町や西条市などに数人いて、彼等の手をへて各地に販売された。盆栽の栽培は農家の副業であり、専業に営む者はなかった。
 盆栽ブームが異常に高まったのは昭和三〇年ころからである。同三〇年ころは東赤石山や西赤石山の標高一五〇〇m以上の岩場に自生している五葉松を、根切りして採取する山取り苗が主体であった。採取時期は二月末から五月末ころまでであり、雪が消えると一斉に入山した。山取りの苗は昭和三四年ころまでには取り尽くされ、また昭和三二年に赤石山の山頂付近の高山植物が県の天然記念物に指定されたので、以後は山で種子を採取し、実生苗の仕立てをする方式にと変化する(写真5-8)。
 実生苗の生産の始まった昭和三〇年代には、土居町の赤石五葉松の栽培面積は三ha程度であったが、四〇年代に入ると栽培面積・栽培戸数ともに急増し、昭和四六年には栽培面積一一ha、栽培戸数一五〇戸、五〇年には三四ha、二七〇戸、五五年には四三ha、二八五戸となった。以後栽培面積は停滞し、五九年には四三ha、二八五戸となっている(図5-10)。盆栽ブームが去り、近年はその生産が停滞的であるとはいえ、土居町の花木生産は今治市と共に県下の双壁をなす。今治市がつつじ・つばき・つげ・かいずかいぶき・さつきなど、多種類の花木を生産するのに対して、土居町の花木は盆栽用の赤石五葉松一色であり、赤石五葉松の栽培では他地区の追随を許さない。

 栽培農家の盆栽経営

 赤石五葉松の盆栽生産者は昭和三七年ころ赤石五葉松盆栽組合を結成し、技術研修日を設けたり、展示会を催して、技術の向上をはかっている。昭和六一年現在組合員は五一名で、うち専業的な盆栽生産者一二名、副業的な生産者一八名、準副業的な生産者は二一名となっている。その生産者の分布をみると、上居町のなかでも大字上野の大川・内ノ川・泉・石原などに集中している(図5-11)。これらの地区は関川の谷口で、赤石山地への登山口に当たっていることが、地の利を得て盆栽栽培者を多数輩出させたものと思われる。
 現在、赤松五葉の生産は実生苗の仕立を主体としている。種の採取は八月二五日の解禁日以降九月一〇日ころまで行われる。急傾面の山肌に自生する五葉松に、体にロープを巻きつけて登り、ひっかけて枝をたぐり寄せながら松毬を採取するのは、危険な仕事である。採取した松毬は二~三週間後にははじけるので、種子をとりだし、それを湿った砂の中に保存し、翌年二月末から三月初にかけて播種する。播種後ビニールで被覆すると、四月下旬には発芽する。露地播きの場合は五月中旬の発芽となるので、稚苗が梅雨にあい、立ち枯れになりやすい。一年目の苗の管理は主として灌水と害虫防除である。二年目には一月末からこ月末にかけて苗を移植する。三年目には五月初旬から六月中旬にかけて芽摘みを行う。四年目には二月から四月にかけて移植する。また枝抜きも行い樹形をととのえる。五年目以降は移植・消毒・施肥・芽摘み・枝抜きを繰り返し、幹を太く、丈を低くするよう培養管理する。こうして樹形の整ったものを、一二年目ころに鉢に移し盆栽として管理する。山取り苗も、移植・消毒・施肥・芽摘み・枝抜き等は、実生苗同様の培養管理がなされる。
 農家の圃場では、年度別の実生苗・山取り苗が各所に栽培されている(図5-12)。狭い圃場では単年度の苗が栽培されているが、広い圃場になると、多年度の苗が栽培され、その栽培景観は多様である。専業農家の圃場にも水田がみられるが、これは連作障害防止のために苗床を休閑している姿である。鉢植えした盆栽は管理に便利な家の近くに棚を仕立てて育成している。

 盆栽の販路

 赤石五葉松の出荷は二~三年生の稚苗として出荷されるもの、二〇~三〇年生で盆栽に仕立てられたものが出荷されるものなど種々である。値段は稚苗の段階では相場はあるが、盆栽にまで仕立てられたものは、売り手と買い手の駆け引きで決まるものであり、値段の基準はみられない。
 盆栽の販売方法には、通信販売と直接販売の二つの方法がある。通信販売は農家が盆栽のカタログを作成し、それを見た愛好家が電話や手紙で注文し、生産者が消費者に販売する方法である。一方の直接販売は愛好家が直接土居町までおもむき、直接買い取る方法である。前者が少量販売であるのに対して、後者は大量販売の場合もある。直接販売のなかには消費者でなく、盆栽屋(仲買人)が買いに来るものもある。販売量のうち通信販売と直接販売の比率は二対八程度であり、直接販売のうちで消費者が買いに来るのは七〇%程度と推察されている。
 赤石五葉松の販路は全国各地に及んでいるが、その中でも最大の出荷先は、東京・神奈川・埼玉・茨城などの関東地方である(図5-13)。関東地方は埼玉県の大宮などに盆栽の産地があり、古くから盆栽を愛好する傾向があったことが、購買力の大きな要因と思われる。






図5-10 土居町大川の熊谷園の五葉松の通信販売額の推移

図5-10 土居町大川の熊谷園の五葉松の通信販売額の推移


図5-12 土居町大川の熊谷園の土地利用図

図5-12 土居町大川の熊谷園の土地利用図


図5-13 土居町大川の熊谷園の五葉松の出荷先

図5-13 土居町大川の熊谷園の五葉松の出荷先