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愛媛県史 地誌Ⅰ(総論)(昭和58年3月31日発行)

三 県行政の体系

 地方の管轄

 愛媛県では、県が市町村を管轄する機関として地方局を西条・今治・松山・八幡浜・宇和島の各市に設けている。この地方局の前身は、昭和一六年の地方事務所の設置にさかのぼるが、それは戦争遂行のための行政を市町村に行きわたらせることを目的としたもので、全国的に各県一または二郡ごとに置かれた。地方事務所の位置が形をかえて、大正一二年(一九二三)の郡制廃止で郡役所がなくなってから、再び二〇年をへて公式によみがえったものといってよい。
 戦後、二二年の地方制度の改正によって、地方事務所の存廃は各府県の意志にまかされたが、愛媛県をはじめ多数が存続を決め、その後五五年に県事務所から地方局へと名を変えて現在に至った。地方局の組織は、総務福祉、保健、産業経済、建設の四部があり、総務福祉では県税などの徴税、建設部では土木事務所などが統轄され、さながら小さな県庁ともいうべき業務を行っている。
 この地方局の管轄区域は、西条地方局が東予地域の東予市以東一〇市町村の範囲で、伊予三島市と丹原町に出張所を置いている。新居浜市が人口が最も多いのにもかかわらず、地方局はもちろん郡役所も設置されなかったのは、新興の工業都市であることによっている(図9―6)。また、丹原町は、桑村と周布の両郡が合併して周桑郡が成立したとき、郡役所を郡内のほぼ中央の福岡村(のちの丹原町)に小松町から移して以来、行政管理の中心地となったもので、歴史的には松山藩の在町で、周桑平野の中心集落である。
 今治地方局は、今治市と越智郡の一五町村を管轄する。かつて野間郡と越智郡の郡役所はともに今治市に置かれたことがあり、島しょ部の町村をもふくむ地方行政の中心地である。松山地方局は、松山市をはじめ温泉郡や伊予郡にわたる二市九町村と久万町はじめ上浮穴郡全域を管轄する久万出張所をもっている。久万町は、上浮穴郡の郡役所があったところで、松山地域にあって山間部の中心地となっている。
 南予地域は、八幡浜地方局と宇和島地方局の管轄区域に分けられている。前者には、旧西宇和郡の郡役所があったが、地方局としては大洲市をふくむ喜多郡や東宇和郡まで管轄することとなり、城下町大洲市よりも地方行政機能では上位にたっている。三市一四町村の区域に大洲出張所と宇和町の卯之町に宇和出張所をおく。宇和島地方局は、宇和島市のほか北宇和と南宇和の両郡にわたる一一町村を管轄するが、とくに御荘町平城には南宇和郡全域を対象とする御荘出張所がある。郡制の初めは城辺村に郡役所がおかれたが、のち隣接の平城に移り、城辺町には野村町と同じく区検察庁をはじめ簡易裁判所、法務局出張所、農林省統計調査事務所出張所など、法務や国の出先機関が集まっている。
 地方局は、県行政における各地域の行政サービス需給の情報の収集伝達をはじめ、行政の滲透を進める機能を果たしている。しかし、国の出先機関が必ずしも地方局所在地に集中せず、むしろ別の町村に設置をみていることは、行政サービス機能の分散という配慮があったものといえよう。      

 地方生活経済圏

 県内には、各市町村のもつ経済、教育文化、社会福祉にかかわる振興策のほかに、地域ごとに、その地理的、歴史的、社会的環境の特色に基づいた広域にわたる施策が進められている。この広域的施策は、関係する市町村のもっている計画を相互に関連づけて、整合をはかり、より重点的、合理的な総合施策とすることによって、県民の生活向上をはかろうとするものである。これまでに述べてきた県や郡、市町村の変遷は、主として地方行政の制度にかかわるものであったが、広域にわたる振興政策は、地域の観点から県民の生活に結びついたものとして注目される。
 愛媛県では、第二次大戦後の復興期をへて、経済の高度成長期には「生産福祉」を基本目標とした政策を行い、東予新産業都市の建設をはじめ農村地域への工業導入などが進められた。ついで昭和四〇年代の後半からは、「生活福祉」に重点をおいた政策の展開が行われた。それは、県民の生活における連帯感の向上、精神面の充実、生活優先がかかげられ、とくに「地方の時代」における地域主義の理念に基づく、地方分権化、文化行政、地場産業の振興などが打ちだされた。「地方の時代」あるいは「地域主義県政」への転換がみられたのは、明治以降の日本の政治体制が中央集権化によっていたけれども、経済の高度成長期をへて、地方の見直しが強調され、もはや中央が地方を支える時代ではなくなったという政治的現実を背景としたものであった。
 第三次全国総合計画(昭和五二年閣議決定)は、地域の特性を生かしての定住構想を基本目標とした。これはまさしく全国的に「地方の時代」「地域に根ざした政治」の展開を促すものであった。愛媛県でも、定住圏構想が検討され、地域の特性に応じた広域的開発計画が登場することとなった。
 この広域開発計画が地方生活経済圏計画とよばれるもので、県内を地域の特性に従って、東予地域から宇摩、新居浜・西条、今治、中予地域では松山、南予地域では、大洲・八幡浜、宇和島の合わせて六つの圏域を設けている。
 宇摩圏では伊予三島・川之江の両市を拠点に、パルプ・紙工業のいっそうの発展と四国縦横断自動車道の建設に対応した都市機能と環境の整備、新居浜・西条圏では重化学工業の発展とともに田園工業都市としての環境整備と農水産業の安定的発展、今治圏では今治市や東予市の都市整備と地場産業の発展、松山圏は、松山市の都市機能の高度化と周辺市町村の都市化に応じた環境の整備、大洲・八幡浜圏では、地場産業の振興、内陸型工業の発展と農林水産業の基盤強化、宇和島圏では、農林水産業の安定的発展と宇和島市の都市機能整備などが、それぞれ重要な施策としてあげられている。
 県内を六つの圏域に分けたことは、その地理的、歴史的、経済的条件の特性によったものであるが、圏域の特性を向上発展さすことは、とりもなおさず、それぞれの特性による地域的分業の成果を発揮することである。生活環境の整備は、どの地域でも同じ水準に達することが望まれるので、経済的発展の効果が生かされる努力が期待されている。

図9-6 愛媛県内の行政管理機関

図9-6 愛媛県内の行政管理機関