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愛媛県史 地誌Ⅰ(総論)(昭和58年3月31日発行)

二 南予・宇和海地域

  歴史の古里

 豊臣秀吉の四国平定後、宇和郡の中心は松葉城(現宇和町)から宇和島に移った。卯之町は江戸時代日常の生活に必要な品物を売る在町となり、商業交通の要所として発展した。「文化の里」といわれる宇和町には高野長英の隠れ家(県指定史跡)や開明学校がある。開明学校は明治一五年(一八八二)建築のフランス風木造洋館建てで、「宇和文化の里」として県から指定された勉学の殿堂である。
 宇和島城は平山城の様式に属し、三層の天守閣・上り口門・井戸・倉庫などが残っていて、国指定の重要文化財である。江戸初期の様式をそなえた登城道は、昔のままである。城山は自然林の美と珍しい草木の豊富多様なことで有名であり、植物学上貴重な資料となっている。また春はソメイヨシノや山桜の花が美しい(写真8-4)。
 宇和島市内の天赦園は元宇和島藩主伊達家の庭園である。大きな池を中心とした平地の池水回遊式庭園で、県内随一の名園で国指定の名勝地となっている。竹・藤・ショウブなど珍しい種類が多い。天赦園のすぐ近くに宇和島市立伊達博物館があって、貴重な古文書や古美術品、伊達藩ゆかりの衣裳類や嫁入道具・軸物類などが展示されている。
 闘牛の起源については確かな資料はないが、江戸末期にオランダ帆船が南宇和沖で難船漂流中を付近の農民が救助し、その謝礼として二頭の牛を贈られたのが、闘牛の元祖といわれている。土俵は宇和島市営闘牛場が宇和島湾を見おろす山腹にあり、年六回の定期大会がある。観光闘牛は年中、申込みに応じて行われている。また、愛媛三大祭の一つといわれる和霊神社夏祭(和霊さん)が毎年七月二三日・二四日にある。海の守護神として知られ、地元はもとより高知県や九州・中国地方にまで多くの崇敬者をもっている。
 鬼ケ城山系が宇和島市の東に位置し、滑床溪谷や薬師谷溪谷などの溪谷美にも恵まれている。滑床には雪輪の滝、霧が滝などがあり、野猿も多い(写真8-5)。

 海岸観光

 日本一細長い佐田岬半島から、宇和海沿岸や渭南海岸には典型的なリアス海岸が現われている。黒潮の波浪と沿岸流が、佐田岬半島、西海半島などの荒々しい海食崖を形成し、波静かな入江付近には伊方町の加周池、三崎町の阿弥陀池などの潟湖(ラグーン)や、内海村の須ノ川海岸のような美しい砂州地形を形成している。また西海鹿島の鹿島うどのような海食洞、碆とよぶ岩礁が各所に見られる。暖帯植物にも恵まれ、あこう樹、ハマユウがあり、ウバメガシの原生林も残っている。
 足摺宇和海国立公園は昭和四七年一一月一〇日の指定である。宇和海南部一帯の島じま及び沿岸の一部と展望良好な内陸部を含むすぐれた海浜公園として知られている。
 宇和海海中公園は足摺宇和海国立公園内にある南宇和郡西海町の海中公園のことである。四五年七月一日にわが国初の海中公園に指定された。面積は三二ha、指定地区は、一号から六号まであり、一号は一ノ碆・打留碆、二号は横島・中崎、三号は黒碆、六号は赤碆である。鹿島を中心とした海域で、海底の岩礁には造礁サンゴやウミトサカの類が一面に群生し、そのあいだを熱帯魚が乱舞し、あたかも竜宮城のような景観をみせている。その海中景観はグラスボートに乗って探勝することができる。

 石垣の集落

 南予地域では耕して天に登るといわれる段畑がよく発達しており、石の文化をきずきあげた。西海町外泊には、石畳の細い縦横の道をはさんでどの家も軒に達するほどの石垣で、家全体が囲まれている。強い季節風を防ぐための建築様式で、訪れるカメラ愛好家をよろこばせている。ここには宇和海の自然の特色、生いたち、生物の社会、自然保護の必要なことをゴルトン・標本・模型で系統的に展示した宇和海博物展示館がある。沖合には西海鹿島が美しく浮かんでいる。この島は宇和島藩主の狩猟地であったことから、山野には約五〇頭ちかい鹿の群れと、二〇〇匹ほどの野猿の群れがよく人に馴れて人気を呼んでいる。またビロー・アコギ・ハマユウをはじめ熱帯植物が繁茂し、島の周囲には無数の魚族が遊泳していて、釣も楽しめ、夏は海水浴客でにぎわう。県指定名勝地、国鉄周遊指定地である。
 西海町には特に民宿が多く、中泊二四、外泊九、武者泊六、内泊に三軒ある。磯釣客を中心に人気があり、関西方面からの利用者も多い。

 南予レク都市

 愛媛県では、将来盛んになると考えられる国民の自然観光レクリェーションの場を、建設省の「都市公園整備五か年計画」にもとづいて建設を進めている。これが「南予レクリェーション都市整備計画」である(図8-7)。
 宇和島市・北宇和郡・南宇和郡一帯のリアス式海岸は、青い海、海底に広がる色とりどりのサンゴと熱帯魚の群れ、変化に富んだ海岸線の美しさがある。そして、昭和四七年に南宇和郡西海町周辺は「足摺宇和海国立公園」に指定され、わが国で初の海中公園となり、透明度の高いきれいな海と南国的な海洋自然を求めて多くの観光客が訪れるようになった。
 南予レクリェーション都市は、このような美しい自然と豊かな民情にあふれた風土を背景に、緑と海をテーマにした大規模な都市公園として、総合的な計画のもとに整備開発を行うものである。とくに、自然環境や地域社会との調和に重点がおかれている。
 計画の内容は、昭和六〇年を目標とし、吉田町から城辺町に至る一市六町村、約三万三〇〇〇haを対象に宇和島市・津島町・御荘町・城辺町の三地域を拠点として、自然条件を生かした海洋レクリェーション都市にふさわしい施設整備を進めている(写真8-6)。
 現在までレクリェーション施設の柱となる都市公園は、全体計画面積九五五・九haのうち七四二・七ha(七八%)を計画策定し、このうち五八〇・九ha(六〇・八%)について事業化が図られている。
 なお、佐田岬半島地域についても、西瀬戸経済圏構想の中核施設として南予レクリェーション都市計画区域に編入が予定されている。

図8-7 南予レクリェーション都市計画区域図

図8-7 南予レクリェーション都市計画区域図