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愛媛県史 地誌Ⅰ(総論)(昭和58年3月31日発行)

一 多彩な資源

 観光資源
      
 観光地とか、観光産業とかよばれて、人びとの興味や関心をさそう事象を観光資源とみているが、この資源を対象に人びとが行動したり、産業として営みを起こしてきたりしたことは決して新しいものではない。
 愛媛県内でも昔から讃岐の金比羅詣であるとか、お伊勢参り、あるいは四国をして全国的に有名にしてきた「八十八ヶ所」の遍路などは、社寺を対象に信仰を深め、それぞれの宗教の深遠さや偉大さを感じ、参詣の行きかえりには、地方色を味わい休養もできる機会を人びとに与えたものである。これらの信仰にかかわる人びとの行動も、「観光」の一つであり、社寺はきわめて有力な「観光資源」である。また、参拝客の宿泊や慰安などを営業として集まってできた門前町や寺前町は、観光産業を機能としたものであると同時に、集落それ自体が観光資源となってきたものもある。
 観光資源とは、人びとに対して、その事象にふれることによって、美しさや珍しさ、偉大さとか深遠さなど、感性に訴えるものであり、これによって人びとの「自己発見」をさそうものといわれている。これらは、資源のもつ要素ともいうべきもので、幾つかを備えた事象が観光資源となる。これらの要素を組みあわせてみると、観光資源の特性が生まれてくるが、それは大きく「自然資源」と「人文資源」とに分けることができる。
 自然資源は、山や滝・川・森林・海など地形をはじめ、野生の動物までふくまれる。県内の瀬戸内海や足摺宇和海の国立公園・石鎚国定公園などは、自然景観の偉大さ美しさに加えて、動植物の生態を保護することにも重点がおかれ、これが山岳や海洋の観光資源として高く評価されている。人文資源には、信仰の対象としての社寺はもちろんのこと、歴史のある建造物、さらには文化や芸術作品までふくまれる。松山市は近世の城下町であるが、松山城はもちろんのこと、俳聖といわれる正岡子規を記念した子規記念博物館も有力な文化観光資源として評価が高い。地方の伝統芸能や祭礼、あるいは、古い民家をもった内子町の集落なども資源としての価値が見なおされている。

 多彩な資源

 愛媛県は観光資源の存在と、その全国的な評価からみて、四国のなかで雄県である。日本交通公社が行った『観光レクリエーション交通調査』(昭和五三年)によると、四国の観光資源四五二件のうち、愛媛県は一九四件で四三%を占めて他の三県よりはるかに多く、全国都道府県のうち一四位である。とくに自然資源が人工資源よりも多いこと、ならびに全国的な評価のうえで、日本を代表する資源(Aランク)が五件を数え、また地方的に有名な資源(Bランク)もかなり多いことが特色である(表8-1)。
 県内の観光資源は、自然と人文ともに変化に富んでいて、多彩である。Aランクと評価されたものには、自然資源で、国定公園のなかの西日本最高峯を誇る石鎚山(一九八二m)、足摺宇和海国立公園のなかの西海海岸、そして瀬戸内海国立公園の一角にある来島海峡の潮流の三件がある。人文資源では社寺として大三島町の大山祇神社と城郭としての松山城の二つがある。もっとも、日本最古の伝説をもつ道後温泉(松山市)は、全国的にも四国および愛媛県を代表する自然資源であり有力な観光地となっているが、温泉がこの評価の対象になっていないので除外されている。しかし、道後温泉は最も有名な資源であることはひとしく認められるものである。
 地方的に知られると評価されたBランクの観光資源は、自然よりも人文に多く、とくに石手寺・太山寺・岩屋寺などの八十八ヶ所霊場となっている名刹や、伊佐爾波神社・伊予豆比古命神社(ともに松山市)、和霊神社(宇和島市)などの社寺が一九件を数えている。
 最も身近で地域の人びとに親しまれている観光資源は、地理的環境のなかで固有の自然として存在し、また地域の歴史のなかから生まれてきた文化財、伝統的な芸能などが多い。このCランクと評価されている資源は、おびただしい件数にのぼっている。自然資源では北条市のえひめあやめ自生地南限地帯をはじめ、面河渓や滑床の紅葉、小松町の法安寺の牡丹などの植物が最も多く、自然保護地としてのほかに行楽地としても親しまれている。このほか山岳や海岸も多い。人文資源には、伊予国分寺塔跡(今治市)や美川村の上黒岩岩陰遺跡、西条市の西条藩陣屋跡などの史跡が最も多く、ついで宇和島市の闘牛、大洲のう飼いなどの年中行事があげられている(表8-2)。

 資源の分布

 四国は北海道とともに全国的に観光資源の件数が少ない地方であるが、そのなかにあって愛媛県が四国で最も資源が多いところとなっているのは、面積や人口が四国で優位にあることに加えて、地理的・歴史的な環境が多彩であることによっている。
 観光資源の分布をみると、それは地域的に瀬戸内海沿岸・宇和海沿岸・内陸の四国山地に大別される。全国有数の海岸線の長さを誇っていることは、とくに宇和海沿岸で海岸美にとむところとなっているし、壮年期山地のある内陸では石鎚山とその周辺の山岳・渓谷などが自然の美しさと壮大さで資源価値が高い。これに対して、文化的資源では、瀬戸内海沿岸に多く、しかも松山平野、今治平野、新居浜・西条平野などに集中していることに注目したい。
 文化的資源のなかで、由緒のある社寺が、これらの平野部に多いことは、文化の発展で歴史が古いことを示すものである。これらは、建造物が文化財としての価値が高いばかりではなく、信仰の対象として広域にわたって信仰圏をもっていること、その祭礼が地域の人びとに深く滲透していることに特色がある。大山祇神社は海の、石鎚神社は山岳の信仰の中心の一つとして有名である。八十八ヶ所の霊場として寺が四国山地のなかに点在していることは、むしろ山岳景観のもたらす深遠さを備えたものと考えられる。
 瀬戸内海沿岸の平野部と対照的なところが宇和島市とその周辺である。観光資源が比較的少ない南予地域にあって宇和島市に社寺や祭礼、博物館などが集中していることは、近世に宇和島藩の城下町として発達し、文化の中心として栄えてきたことを物語っている(図8-1)。

 新しい観光資源

 昭和三〇年代に入って、戦後の復興期から経済の高度成長期へと移るなかで、観光を有力な産業として発展さす気運が興ってきた。とくに愛媛県では、自然資源の豊かさを改めて見直して、有力な地域開発の対象と考えるようになった。三〇年に石鎚山一帯が国定公園に指定されるとともに、三三年には県立自然公園条例を制定し、これによって肱川・金砂湖・奥道後玉川・四国カルスト・篠山・佐田岬半島宇和海・皿ケ嶺連峰などの自然公園が四二年までに相ついで指定された。
 大規模開発計画の進行によって、新しい観光資源が登場することとなった。それは、四五年の本州四国連絡橋公団の設立につづく今治・尾道ルートの着工開始、五四年の大三島橋の供用開始である。大三島には大山祇神社が鎮座し、その神域は広く、信仰圏も瀬戸内海一帯に拡がっているが、ここに大三島橋が完成したことは、比較的景観の変化に乏しい瀬戸内海国立公園の島しょのなかにあって、新しい観光コースと観光地を出現さすこととなった。それは、信仰という静かで聖域視された大三島に、新たに人工美と自然美とを融合させた架橋と高速道路が観光資源となったことである。大三島橋を訪れた観光客は、一三万人を超えるほどになり(五五年)、新しい観光地として脚光をあびている。
 スカイラインとかシーサイドラインとよばれる有料道路が全国各地に建設され、山岳や海岸などの自然景観が観光地として開発をみたのも四〇年代の特色であった。県内でも山岳信仰と登山の対象となってきた霊峰石鎚山の近くまで自動車による登山専用道が建設された。この石鎚スカイラインは、同国定公園の南側の山地をぬって四五年に開通した。四国では最初の山岳自動車道路で、海抜高度一五〇〇mまで走行できることとなったが、これは霊峰を老人や女性に身近なものとさせる効果を発揮した。このような交通路の開発は、自然資源のもつダイナミックな景観美を一般に観賞を容易にさせたばかりではなく、人口過疎の面河村や美川村などに観光開発の利益を与えるものともなった。
 地域開発のために観光資源を軸に大型のプロジェクトを計画したものが、四七年に指定をうけた南予レクリェーション都市の建設で、これは現在でも施設整備が進んでいる。レクリエーション都市は、自然資源や人文資源を観光のために開発するというよりも、資源を余暇利用に活用することを目的とし、一般の観光地にはない新しい価値を見出そうとしたものである。南予地域が全国で三番目に指定をうけたのは、四五年の西海町沿岸の海中公園の指定があったことに加えて、海岸景観がリアス式で変化にとんでいる資源的価値が、都市化や工業化に伴って増加した瀬戸内海側の都市の人びとに余暇利用の場を提供することであった。これは、過密の進む都市地域と、所得水準の向上をはかる必要に迫られた農漁村地域とが、自然資源をなかだてにして、地域間の結びつきを図った新しい形の観光開発である。
 経済の高度成長期をすぎて、文化に対する国民の関心が高まってきた。行政も地方文化の振興をかかげるようになって、文化財の保護や民俗芸能の振興に努めている。観光客の行動も地方文化にふれようとしだいに変化をみせてきた。このような新しい変化のなかに県内各地でも人文資源の再評価や、新しい資源づくりが進んでいる。前者では、内子町の街並み保存活動が代表例で、古い民家の補修や史蹟をくみ入れた村ぐるみ、町ぐるみの人文資源づくりがある。内子町には最近になって年間二万人もの観光客が訪れて、民家の建築史についての教養を深めたり、伝統技術のろうの生産の歴史を学んだりしている。このような例には、宇和町や西海町の外泊の石垣民家、あるいは美川村や久万町などの古い農家の保存や民具収集などがある。
 都市文化の振興に関連して、博物館の建設も目立ってきた。宇和島市の市立伊達博物館をはじめ松山市立子規記念博物館などは、県内の本格的な人文系博物館として全国的にも有名なものとなった。とくに子規記念博物館では、毎年子規顕彰全国俳句大会が開催されていて、五七年には全国各地からの投句が九七〇〇、参加者は六〇〇名を数えたほどである。これらは、都市の歴史文化に新たな価値を加えるとともに、都市機能に対しても文化的要素を強めたことに意義がある。このほか、別子銅山の閉山に伴って、その採掘の歴史を展示した新居浜市の別子銅山記念館や、上浦町の郷土出身書家村上三島の記念館、宮窪町の水軍資料館などは、特定の内容をもった新しい人文系の観光資源として登場した。

表8-1 四国のランク別観光資源

表8-1 四国のランク別観光資源


表8-2 愛媛県のランク別観光資源(件)

表8-2 愛媛県のランク別観光資源(件)


図8-1 愛媛県における観光資源

図8-1 愛媛県における観光資源