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愛媛県史 地誌Ⅰ(総論)(昭和58年3月31日発行)

1 東予東部地域

 伊予三島・川之江地域

 伊予三島・川之江両市の商業の最大の特色は、地場産業から発展した製紙・紙加工業に関連して、紙・紙製品を扱う産地問屋が形成されていることである。産地問屋は、かつて当地域の紙・紙製品の卸売に主要な役割を果たしてきたが、消費地問屋や大口需要家の台頭によってその役割を低下させつつある。昭和五三年の調査によると、産地問屋の販売額のシェア(市場占有率)は二四・四%で、これに対して消費地問屋は四二・四%、大口需要家も一四・八%を占めている。
 産地問屋の特徴は、消費地問屋に比べて規模が零細なことで、取扱い商品も中小の製紙業の製品が主である。しかし、卸売業の規模や経営効率を県内の他市町村と比較すると、両市も県内の上位にある。とくに伊予三島市は、従業者数一人当たりの販売額は約五三〇〇万円と県内最高で、一店当たりの販売額でも松山市についで二位である。川之江市の卸売業は、規模・効率では伊予三島市におよばないが、県内では上位の水準にある。また、小売業に対する卸売業の集積の程度を表す卸・小売比率(卸売販売額を小売販売額で除した値)でみても、伊予三島市は二・五と県内最高である(昭和五三年)。
 卸売業の集積に比べて小売業のそれは低く、川之江市には駅前通りと栄町の両商店街、伊予三島市には本町や新町など五つの商店街があるが、いずれも商圏は狭く、自市以外からは別子山村・新宮村からの購買流入がある程度である。購買の流出入を示す小売中心性でみると、伊予三島市は一〇三となり、わずかに三%の購買流入があるが、川之江市は九八・三と一〇〇以下で購買流出がおこっている。

 新居浜・西条地域

 新居浜市は工業化に伴う人口増加によって商業が発達した都市であるが、県内二位の人口規模のわりには商業の集積が小さい・卸売業の一店当たりおよび従業者一人当たりの販売額は、いずれも県内六位と低く、小売業の県内二位と比較して卸売業の集積が小さいことが目立っている。これは伊予三島市や今治市のように、地元の工業と結びついた卸売業の発達があまりみられないことによる。小売業の集積は同市の人口規模の大きさによるもので、松山・今治・宇和島市のような広範囲な商圏をもっているためではない。ちなみに小売中心性は一一七で一七%の購買流入はあるが、これは県内で五位である。同市の小売業の商圏がせまいのは、東は伊予三島市、西は西条・今治市と競合して商圏が拡大できないためである。
 新居浜市には商店街が数多くあるが、中心商店街といえるのは「別子大丸」から東にのびる県道沿いの昭和通り商店街である。昭和初年までの中心商店街は、昭和通りの北側に平行する本町通りであったが、六年の県道開通をみてから、これに沿って昭和通り商店街がつくられ、数年で本町通りに代わって中心商店街となった。この他に銅山の開発に伴って早くから発展した喜光寺や、近年発展している登道などの商店街がある。新居浜市の小売業の特色の一つに住友系の生活協同組合があって、同市の小売販売額の約二〇%を占めている。
 西条市の商業の特徴は、卸売業活動が県内都市の中で最低の地位にあることで、人口一〇〇〇人当たりの商店数は〇・九、卸・小売比率は〇・二六といずれも都市の中で最低である。小売業の活動も、東は新居浜市、西は今治・松山両市と競合関係にあって、とくに隣接する新居浜市の小売業の発展によってその機能をうばわれている。小売中心性も八六と一四%が購買流出しているが、その多くが新居浜市を指向している。商店街の中心は、大正年間までは本町筋にあったが、大正一〇年の国鉄開通によって駅方向へ移動し、戦後は栄町が中心商店街となった。