データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

愛媛県史 地誌Ⅰ(総論)(昭和58年3月31日発行)

2 通勤・通学交通圏

 東予地域の圏域

東予地域には、東から伊予三島圏・新居浜圏・今治圏の三圏域が認められる。最大の圏域を構成するのが今治圏で、二市九町村からなり越智郡島しょ部も含まれる。今治市は人口規模では新居浜市に次いで県内三位であるが、流入数では一万人を超えて新居浜市の約二倍に達しており、そのため圏域も広い。これは今治市が繊維や造船工業、さらに商業が発達していて就業機会が多いことと、同市を中心とするバス交通網の発達と、島しょ部を結ぶ海上交通網の一大結節点となっていることによる。
 新居浜圏は、住友系企業が立地している新居浜市を中心として、二市二町から構成される。人口規模に比べて圏域は狭く、またこれに従属する市町の依存率も一五%以下と低い。それは同市が、東は伊予三島・川之江の両市、西は今治市にはさまれて圏域を拡大できないためである。伊予三島圏も二市二村からなる小さな圏域であるが、この地域への製紙業の集積により一つの圏域を構成している。伊予三島市が圏域の中心となっているが、川之江市との間の相互依存関係が強く、伊予三島・川之江圏ともよべる圏域である。
 このように東予地域の圏域は、狭長な燧灘沿岸に小規模ながら三つの圏域が形成される。これは藩政時代に、この地域が天領を含め六つの藩域に分割統治されていて、その後の都市発展が藩域を中心に展開されたこととも関係がある。       

 中予地域の圏域

 松山圏は、松山市を中心とする県内最大の圏域であって、一六市町村から構成されている。このように広い圏域が形成されるのは、松山市に行政・商業・工業・教育などあらゆる機能が集積していることと、同市を中心とする交通体系が大きくあずかっている。同市には四本の国道が集中し、鉄道も国鉄と伊予鉄の郊外線三線が集まっている。さらにバス路線では、ほとんどの路線が松山市駅を起終点として各方面に伸びていて、松山市は県内最大の交通の結節地である。
 道路整備とモータリゼーション(自動車化)の進展は、自家用車による松山市への近接性を飛躍的に向上させ、周辺地域の松山市への指向をよりいっそう強いものとした。交通体系の整備による圏域の拡大は、通勤・通学依存率の経年的変化をみるとよく理解できる。昭和四〇年には、松山市への最高の依存率を示したのが松前町の二七%であったが、五〇年にはこれを上回るものが五市町もある。とくに砥部町・松前町・重信町では三五%を超えていて、松山市への依存がよりいっそう強くなった。
 松山圏の中には上浮穴郡の山間村地域からなる久万副次圏が形成されている。これは、国道三三号線が整備されたとはいえ、依然としてこの圏域が時間的に松山市と隔たっているため、歴史的にこの地域の中心集落であり、行政機関や高等学校が集積している久万町を中心にして圏域が構成されたものである。
        
 南予地城の圏域

 南予地域では、大洲・八幡浜・宇和島・御荘の四圏域が構成されている。最も圏域が広いのは宇和島圏で、五町一村から指向されていて依存率も他の三圏域に比べて高く、三間町の二四%を筆頭に広見町・松野町は一〇%以上である。宇和島市も松山市と同じく、周辺地域から指向される割合が年ごとに高まっていて、昭和四〇年に比べて約五%の増加となっている。この依存率の増加は、交通体系の整備、とくに国道五六号線の改築とモータリゼーションの進展によるところが大きい。同圏が南予地域で最大の圏域となっているのは、同市を中心とした陸上交通体系の整備や、南予の中心都市としての機能が集積し、周辺部からの通勤者や高校への通学者などが多いことによる。
 八幡浜圏は一市九町から構成されるが、八幡浜市を対地第一位として指向しているのは、保内町・三瓶町・宇和町・三崎町の四町しかなく、保内町以外はいずれも依存率一〇%以下で同市の吸引力は弱い。この圏域には、宇和町を中心とする副次的な圏域が含まれ、明浜・野村・城川町から構成されている。
 大洲圏は大洲市を中心として五市町村から成っているが、その構成は複雑で同市の吸引力は八幡浜市よりも低い。河辺村は肱川町、五十崎町は内子町を指向し、内子町と肱川町が大洲市を指向するが、依存率はいずれも一〇%以下と低い。都市でなくて圏域を構成する唯一のものが御荘圏である。御荘町は県の出先機関の集積と、高校があることによってこの圏域の中心地となっている。