データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

愛媛県史 地誌Ⅰ(総論)(昭和58年3月31日発行)

3 自家用車普及の影響

 輸送人員の減少

 モータリゼーションが進展する以前では、バスは鉄道とともに主要な陸上交通機関であったが、昭和四〇年以降しだいにその地位を失いつつある。国内における旅客輸送の推移についてみると、バスは三〇年の一四%から四〇年には二一%とシェアを増大させたが、四〇年以降は低下して、五四年には再び一四%となってしまった。県内における旅客輸送人員でもバスはシェアを低下させていて、四〇年の四六%から五五年には一八%へと急減し、輸送人員にして約九一〇〇万人から六二〇〇万人への大幅な減少となった。この間、自家用車のシェアは五%から五三%へと一〇倍以上の伸びであるから、バスのシェアは完全に自家用車に奪われてしまったと言えよう。
 県内のおもなバス会社三社の輸送人員の推移を見ると、三社とも四○年以降一貫して輸送人員の低下を示している。なかでも瀬戸内運輸の低下は著しく、四〇年の約三三〇〇万人から五五年の約一一〇〇万人へと三分の一に減少した。輸送人員の減少の影響は営業係数にも表れていて、四〇年には係数九三・一と三社で最も良かったものが、五五年には一一一・七と大幅な赤宇で三社中最悪となって、ついに五七年からは伊予鉄などから資金援助を受けねばならない状態にまでなった。五五年に営業成績が黒字となっているのは伊予鉄のみで、それも採算ぎりぎりの九九・八で、県内のバス事業はいずれもきわめて厳しい状態にある(図6―12)。バスの輸送人員が減少した原因は、第一に自家用車の普及によるが、これが道路混雑を招き、バスの運行速度を低下させ、利用者のバス離れをより一層促進させるという悪循環を繰り返している。例えば、松山市周辺における幹線道路上のバスの運行速度の推移では、昭和四〇年に各道路とも時速一七㎞以上であったものが、四八年にはいずれも時速一五にm以下に低下していて、最近のバス優先レーンの設置などにより若干速度は上昇したが、それでも従来の速さに比べてかなり遅い。

 過疎地城のバス

 バスの輸送人員の低下はバス会社の経営を苦しくし、その結果運行回数の減少、ひいては不採算路線の廃止という事態を招く゜過疎地域の住民にとってはバス路線の廃止はきわめて深刻な問題であって、とくに他に交通手段のない老人や通学児童にとってはよりいっそう深刻である。過疎地域住民の足を確保するため、国・県ではバス事業に補助金を支出し、また過疎バスを運行する市町村では、一般会計からの繰入金を投入している。たとえば、温泉郡中島町の場合、昭和三三年から町営バスを運行しているが、五六年の一台当たりの平均乗車人員は、五・二人と極端に低く大幅な赤字である。そのため国・県からの補助金一九〇〇万円とは別に、町独自に一般会計から一六〇〇万円をくり入れているが、これは苦しい町財政にとって大きな負担となっている。
 現在県内で何らかの補助金を受けているバス会社は二社、自治体は二七市町村にも及び、とくに越智郡島しょ部、中予山間部、南予地域に多い。その系統数は九八系統で、国・県からの補助金総額は約三億六〇〇〇万円におよぶ。モータリゼーションのよりいっそうの進展を考えると、今後ますます過疎地域のバス運行は困難となることが予想され、老人や子供など交通弱者にとってはなお深刻さがつづくであろう。

図6-12 愛媛県バス3社の輸送人員と営業係数(昭和40―55年度)

図6-12 愛媛県バス3社の輸送人員と営業係数(昭和40―55年度)