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愛媛県史 地誌Ⅰ(総論)(昭和58年3月31日発行)

3 井堰灌漑

 一文字堰
     
 井堰を用いての水利では、その井堰のつくりかたに一文字堰・箕の手堰・袋堰の三つの形態がある。一文字堰は河川の流路方向に直角の堰である。大きな川は一文字堰が適しているといわれる。
 国領川の洪水堰、重信川の菖蒲堰(図4-27)。表川の見奈良堰、内川の立待堰、石手川の寺井堰、中山川の釜ノロ堰、蒼社川の高橋堰、関川の中堰、宇和川の上堰などがその実例である。

 箕の手堰

 河川の流路に対し斜の堰である。小さな川には箕の手堰が適するといわれている。大きな川を箕の手堰にすると、出水の際、用水の堀口が土砂で埋まり、また、堀口が保たれにくい。小さな川を一文字堰にすると水利が少ない。
 国領川の岡崎堰・高柳堰・加茂川の舟形堰、石手川の市之井手堰、中山川(内子)の黒瀬堰(満尻堰)、小田川の龍宮堰などはこの実例である。

 袋堰   

 河川の流路に対し袋状に川下へたるませた堰である。砂川によいとされている。宇和川の下堰はこの形態にやや近いものであるが、この堰の例は県内では少ない。
 「伊予池帳」(愛媛県立図書館蔵)によれば、宇和島藩で明治五年(一八七二)一六七六ヵ所の井堰が記録されている。
 蒼社川には上流龍王堰から一番堰まで北方懸り九堰、左岸側南方懸り一〇堰があるが、取水は、今治城のある北方が有利にできているという。
 石手川には上高野から重信川の出合までに、市之井手堰・北山井手堰・草場堰・寺井堰・徳力堰・小坂堰・斎院堰・中村堰・左古樋堰・石樋堰の一〇井堰がある。足立重信(一五六三?~一六三一)による改修後、松山平野の灌漑用水として利用されてきた。小野川の蔵之町井堰は、余戸・垣生・吉田・土居田・富久の各水田へ配水を続けている。往時は水論も多かったが、現在道後北部幹線用水路八号蔵之町樋口として潤沢な用水を有するようになった。

図4-27 重信町の菖蒲堰

図4-27 重信町の菖蒲堰