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愛媛県史 地誌Ⅰ(総論)(昭和58年3月31日発行)

1 国営道前道後農業水利事業

 道前道後用水

 愛媛県内の二大平野である松山平野と周桑平野の水田は合わせて一万一七八三・六ha、果樹園一四一四・九ha、計一万三一九八・五haの耕地がある(昭和四〇年)。瀬戸内気候のもとにあるために、降水量が少なく流域面積に比して耕地面積が広く、灌漑用水が不足してきた。
 西日本最大といわれる道前・道後水利事業は、西の「愛知用水」と呼ばれるほど大規模なもので、松山平野(道後平野)と周桑平野(道前平野)とに新たな用水路を開削するため、昭和二七年から岡山農地事務局が主体となって調査を進め、四一年度に完成をみた。この工事は松山・周桑両平野の農民にとって、長年待望した灌漑工事であり、農業経営の安定化への基礎が、ようやくつくられたのである(図4-25)。
 この事業の特色は、多雨地帯である石鎚山脈の面河川上流の水を、上浮穴郡面河村笠方に貯水池(貯水量二八三〇万m3)を設けて取水し、これを道前・道後両平野へ流域変更によって逆流方式で導入し、それぞれ四四一六・七ha、八七八一・八haの耕地へ灌漑用水を補給する。また、道前平野の中山川に放流する間の落差を利用して、三つの発電所により、年間一億六一三万kwhの電力生産を行うものである。つまり土佐湾に流入してきた河川上流部の水を瀬戸内海側へ人工的に流入させたものである。
 この水利事業によって、両平野で合計一万三一九八・五haの耕地が土地改良を受け、うち新規改田一一六・九ha、また果樹園の改良一三六三・九ha、作物生産増加でも水稲四一三四・一トン、果樹四〇五一・六トンなど、その生産は増大した。このようにして松山・周桑両平野は、近代的水利技術によって干ばつへの不安はなくなったのである。


図4-25 道前道後水利開発地域の概要図

図4-25 道前道後水利開発地域の概要図