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愛媛県史 地誌Ⅰ(総論)(昭和58年3月31日発行)

一 自然変動

 低下する出生率

 人口の変動は、出生と死亡による自然的な変動と、転出・転入による社会変動の二つの局面によっている。出生と死亡は、人間が生物体である限り自然の摂理に従った現象ではあるが、その変化は社会的・経済的、文化的要因によって起こっている。まず出生であるが、日本のそれは戦後急速に低下して、昭和五五年には人口一、○○○人当たり一三・六人で「ひのえうま」の昭和四一年をやや下回り、史上最低を記録した。少なく産み、丈夫に育て、高齢まで生きるという「少産少死」の傾向は、戦後日本社会の基調となってきた。経済の高度成長がストップした昭和四九年以降では、とくにその現われ方が顕著で、出生率は七年連続して下がった。その他の社会的背景としては、戦後のベビーブーム期に誕生した「団塊の世代」の女性が、次第に出産適齢期を過ぎ去っているということ、女性の職場進出、育児の経費増、住宅の狭小化、子供をよく産む若年層の未婚率が大幅に上昇したこと、離婚率が上昇し、昭和五五年には人口一、○○○人当たり一・二二組で戦後最高を示したことなど、さまざまな要因が影響している。 
 このような傾向は、愛媛県においてもみられ、昭和五五年には出生率は一三・一‰にまで低下した(図3-5)。しかもその地域的差異が著しいことに注目したい。すなわち市部の平均は県平均よりやや高く一三・九‰であるのに対して郡部のそれは一一・四‰と低い。高い率を示すところは大西町一七・九‰、松山市一四・九‰、伊予三島市一四・二‰、川之江市一四・〇‰など、都市とその周辺地域である。これらは子供を生み得る世代の人口再生産年齢人口(一五から四九歳の女子)を吸収する地域である。一方、人口流出によって青壮年層が少なくなった過疎地域の農山漁村では出生率が著しく低い。面河村では二・七‰にすぎず、魚島村三・九‰、関前村四・八‰、美川村六・二‰、柳谷村七・二‰などがその代表的な村である。

 低下する死亡率

 愛媛県の死亡率は、戦前にはかなり高かったが、戦後になって医学の進歩や公衆保健衛生などの発展普及によって急速に低下した。昭和二二年には一五・二‰であったものが、三〇年には八・二‰へ半減した。その後は八‰代を続けていたが五二年に初めて七・七‰へと低下をみせた。ただ、本県の死亡率は常に全国平均を上回っていることが特徴である(図3-5)。
 死亡率には、出生率と同じく地域的に差異がある。昭和五五年の県平均値七・五‰に対して、市部の平均は六・七‰と低いのに郡部平均は九・三‰とはるかに高い。高死亡率の町村は、面河村の一七・八‰を筆頭に大三島町一六・三‰、瀬戸町一五・八‰、柳谷村一四・三‰、新宮村一三・五‰、三崎町一三・三‰など、おもに人口過疎町村が多い。相対的に低率なところは、松前町五・〇‰をはじめ、重信町五・四‰、松山市五・六‰、大西町六・〇‰、新居浜市・伊予三島市六・二‰、今治市六・八‰など人口の多い都市とその周辺地域である。これは都市における医療施設の完備もさることながら、老年人口指数が低い地域とも対応している。
 災害による死者の発生は、特定地域での特殊な理由によったものであるが、愛媛県のように山地が多く豪雨による山崩れや洪水などの災害、海岸線が長く水産業が盛んなことによって、海難による死者も決して少ないとはいえない。昭和二四年六月に南予地域を襲ったデラ台風による死者・行方不明は二三四人に達し、とくに日振島をはじめ宇和海諸島では、イワシ網漁民の多くが一夜のうちに亡くなった。この時、日振島ではイワシまき網四統が全滅し、一〇六人が死亡した。このため島の喜路や明海などの集落では、人口の減少、急速な老齢化が進行し、社会の維持が困難となった例がある。

 死因別死亡順位

 昭和五五年のすべての死因による訂正死亡率は、全国平均で男子が人口一○万人当たり四六九・三人、女子が三六二・七人であった。訂正死亡率とは、老齢人口の多い地域は死亡率が高いなど、実際の死亡率では厳密な地域間の比較ができないため三五年から五年ごとにまとめているもので、各都道府県の人口構成を三五年の全国平均(男女別)の年齢構成と同じと仮定して死亡率を計算したものである。
 愛媛県の訂正死亡率は、男子四六九・五人で第二八位、女子三三九・五人で第四四位であった。県内の死亡者数は、近年一万二、〇〇〇人台から一万一、〇〇〇人台へとしだいに減少している。死亡原因は、老衰のほか、特殊な疾病または事故などによるものが多い。特殊な疾病による死亡率の高低の分布は、それぞれの地域の自然的・社会経済的諸条件との関連が深く、地域現象の一つとして注目されている。つまり、生活環境の違いによって、死亡率に地域差が生じることであり、脳卒中の死亡率は「東高西低型」、肝硬変は「西高東低型」、ガンは東日本の日本海沿岸と近畿の一部、九州北部に多いなどはその例である。昭和五五年の死因別順位をみると、全国平均では一位が脳血管疾患で二二・五%(五六年にはガンがトップとなり二三・一%)、二位が悪性新生物(ガン)二二・四%、三位が心臓疾患一七・二%、四位が肺炎および気管支炎五・四%であった。これを愛媛県についてみると、一位脳血管疾患二一・七%、二位悪性新生物二〇・四%、三位心臓疾患一七・六%、四位老衰七・五%、五位肺炎および気管支炎五・七%、六位不慮の事故四・六%であり、ほぼ全国順位に似ている。

図3-5 全国および愛媛県の出生率・死亡率の推移

図3-5 全国および愛媛県の出生率・死亡率の推移