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愛媛県史 地誌Ⅰ(総論)(昭和58年3月31日発行)

1 天然記念物と風土環境

 天然記念物

 県内には動植物で国指定の天然記念物が一〇件ある。そのうちニホンカワウソは特別天然記念物に指定されている。日本では絶減しかものと思われていたカワウソが、昭和二九年に肱川河畔で一雌が発見されて以来、県内で七〇件もの捕獲や死体確認の記録がありながら(図2―53)、ついに飼育も成功せず、保護の手だてもむなしく絶滅に追いやられたと言える。高知県では、昭和五六年に仁淀川河口付近で足跡が発見されているが、愛媛県ではすでに八年間も全く消息がない。ニホンカワウソは昭和四〇年に特別天然記念物に指定されるとともに、愛媛県獣にも指定されたが、一〇年ばかりにして絶滅したとみられようか。この消息不明の事実からすると、河川や池沼の開発、海岸部における護岸や道路の建設、またハマチ養殖の増大などが、彼らの生息環境を急速に悪化させたのではないかとも考えられる。
 このほか生物で県指定の天然記念物のなかで特徴的なものとしては、赤石山脈の高山植物をはじめ、北条市腰折山を極東の自生南限地の一つとするエヒメアヤメ(写真2―49)、東南アジアの分布北限にあたる西宇和郡三崎町の日本一のアコウの大樹群、日本特産で温泉群川内町のお吉泉で発見されたオキチモヅクなどがある。オキチモヅクは昭和一五年に故八木繁一氏が発見したもので、その後、九州の天草地方と熊本県阿蘇郡小国町の数か所にもあることが判明した。世界的に珍しい淡水藻だが、残念なことに、昭和四四年の河川の改修などで、その後数年のうちにほぼ絶滅してしまった。
 県指定の天然記念物は現在八四件(図2―54)、市町村指定のものが約二六〇件ある。国・県指定の植物で、最も多かったのはクロマツであったが、この二〇年ほどの間に拡がったマツ枯れの被害で、国指定の温泉郡重信町の与力松が数年前に解除されたのをはじめ、一五件ほどあった県指定の名松も、現存するのは北条市の大師松一本となった。マツに次いで多い指定種は、クスノキ・イブキ(ビャクシン)・イチョウなどで、ツバキ類、サクラ類、ソテツ・アコウ・イチイガシ・ウバメガシ・エノキなどである。動物では北宇和郡岩松川のオオウナギ、東予市海岸のカブトガニ、温泉郡皿ケ嶺山中のベニモンカラスシジミなど五種のほか、宇和海海中資源群の動植物も指定されている。
 愛媛県の長寿の木としては、イブキ・クスノキ・イチョウ・スギ・マツ・イチイガシなどがあげられる。伊予三島富郷町藤原のビャクシンは、目通り八・八m、下柏のものは目通り八・二m、いずれも樹齢一一〇〇年を超えるものと言われ、日本でも小豆島土庄町のイブキに次いで二、三位を争う巨木である。大三島町の大山祇神社にあるクスノキ群はまた有名で、その社前にある大木は県内一であり、目通り一一・一m、樹齢一〇〇〇年と推定される。社殿の後ろにも目通り八mに及ぶもの二本あるほか、これにつぐクスの大木が群生し、奥の院の通路にある生樹の門の大クスも名高い。イチョウは中国原産で、県内一を誇るものが小田町三島神社にあって、目通り一二m、推定樹齢九〇〇年といわれている。これらの三種については、県内でも多数の大木がある。マツは名木が多く本県の誇るところであったが、マツクイムシによる被害で、目通り五m、樹齢二五〇年以上の木のほとんどが全滅してしまった。三瓶町大久保山にあったクロマツは、目通り八m、樹齢四三〇年と推定され、県内一の大木であった。ちなみにマツは県木に指定され、県花にはミカン、県獣はカワウソ、県鳥はコマドリとされている。ツツジは市町村の花として県内でも最も多く一一市町村の指定を受けている。

 自然公園と自然保護

 越智郡島しょ部や忽那諸島は、瀬戸内海国立公園のなかでも主要な群島であるが、近年はマツクイムシの被害をうけて大いに変容している。白砂青松の美しい島々、海との折なす自然景観は、日本を代表するものであり、また足摺宇和海国立公園は、宇和海海中公園の海中資源群と、サルと鹿で有名な西海鹿島がその中心となっている。石鎚国定公園は、西日本でも最高峰の石鎚天狗嶽(一九八二m)を主峰に、名勝地の面河渓などを含み、四国でも代表的な動植物自然に恵まれた山岳地域である。
 県立公園としては、東予地域で金砂湖、中予の奥道後・玉川、皿ケ嶺連峰、四国カルスト、南予地域の佐田岬半島、宇和海、肱川、篠山など、八つが指定されている。このほか、自然環境保全地域として、特異な植生をほこる赤石山脈と、代表的なブナ原生林の残る大野ヶ原小屋山地域、ならびに高知県とあわせ国設の笹ヶ峰地域が指定され、そのすぐれた動植物自然の保護策が講ぜられている。
 山草ブームにのった貴重な植物の盗採、あるいは皿ケ嶺連峰自然公園内に発生していた天然記念物のベニモンカラスシジミ(写真2―50)が、蝶マニアの乱獲によって全滅したのではないかといわれる例のように、生物自然のむやみな採捕は残念なことである。カンランやエビネ・シコクカッコソウなどの山草をはじめ、センプリ・オミナエシなどの薬草も、最近では山野で全く姿を消してきた。愛媛県は山草愛好家の数が日本有数で、珍稀を競うあまり、根こそぎ採って販売する行為がある。最近、国立・国定公園に加え、県立自然公園地域においても指定保護植物がきまり、県内では国立・国定公園内でそれぞれ四〇から五〇科約一五〇から一六〇種が指定されたし、県立自然公園内でも五二科一六三種が指定の対象となった。
 レジャー行動の発展のうち遊漁はいぜんとして続いているが、これによる投げ餌やテグスなどのゴミの放棄によって、海底の荒廃をもたらし、貴重な魚種を絶滅に追いこんでいる。漁業従事者自身も、生活のためとはいえ、資源を枯渇さすような行為も多くたったことは注目してよい。愛媛県では昭和五七年から無秩序な乱獲によって漁業資源を失わないように、カサゴ・メバル・マダイ・イシダイのような重要な種魚の捕獲制限を行うこととした。
 野生鳥獣については、昭和三八年にできた鳥獣保護法の大改正により、猟期や狩猟鳥獣の限定、鳥獣保護区や休猟区、銃猟禁止区などが設定されてその保護行政が大いに整備された。鳥は環境の指標であると言われるが、公害に敏感な鳥類を保護し多く生息できる環境をつくることが、そのまま人間の安全な生活環境をつくることになる。鳥類の保護は結局人類生存の問題にもつながるのである。

 外来・帰化生物の増加

 ハクビシン(白鼻心)はジャコウネコ科に属する動物で、もともと台湾や東南アジアに生息していたが、第二次大戦中に毛皮獣として日本に持ちこまれたものが、しだいに広まって本州の中北部と四国地方の山地に増殖したものと思われている(写真2―51)。本県でも昭和三三年に上浮穴郡面河村で発見されて以来、各地で見られるようになり、現在では全県的に増加している。チョウセンイタチはもともと中国大陸から朝鮮にいたものであるが、昭和一〇年ころから関西各地に広まってきて、日本在来のホンドイタチにとって代わるようになった。昭和三五年ころには東予地域からチョウセンイタチだけとなり、現在ではホンドイタチの姿は、山間僻地にしか認められず、早晩絶滅の感もしないでもない。この両者は明らかに別種であって、雑種が生ずる可能性はない。
 そのほか狩猟対象として導入された南中国産のコジュケイ(小寿鶏)をはじめ、意図的に輸入されたミシシッピー水系の食用ガエル(ウシガエル)とその餌のアメリカザリガニ、ペットとして輸入されたものが逃げて野生化したミシシッピーアカミミガメ(フロリダガメとともにミドリガメと呼ぶ)、石手ダムなど県内にも持ちこまれ問題になった魅力あるゲームフィッシュである害魚ブラックバスの繁殖などがある。北米産のニジマスの場合は定着することはない。このほか古く明治一七・八年(一八八四・五)長崎からはいりミカンの害虫となった熱帯原産のルビーロウムシ、明治三一年(一八九八)にはいってきた中国南部のヤノネカイガラムシ、明治四一年(一九〇八)に静岡県で発見された北米原産のイセリヤカイガラムシ、その他多くの害虫がある。これらの天敵として導入されたルビーアカヤドリコバチ、ベダリアテントウなども外来種である。県内にルビーロウムシが侵入したのは昭和の初期であったが、ヤノネカイガラムシは大正年間、イセリヤは大正六年(一九一七)から十年間に入ってきたといわれている。
 帰化植物としては、近年きらわれものの代表となってしまった晩秋黄金の花をかざるセイタカアワダチソウがある。これは北米原産で第二次大戦後に日本国内の郊外や河原をうめつくし、爆発時にふえ続け、県内では昭和三四年に東予で発見されてから、現在では離島や山林地を除いていたるところに広まっている。本種と同じくキク科の北米のもので分布を広めているブタクサは、セイタカアワダチソウ以上に花粉病の原因者としてきらわれている。マメ科のニセアカシヤ(一名、ハリエンジュ)は花も美しく、繁殖力旺盛な緑化樹ではあるが、セイタカアワダチソウと同じように、ひとたび定着すればなかなか除去しにくい。帰化植物には、雑草はもちろんのこと、街路樹や園芸植物、果樹、牧草などから、水生植物に至るまで、世界各地から入りこんで、その数は県内の雑草だけでも三〇〇種を下らないと言われる。一地域の雑草の中に占める帰化植物の割合を帰化率として、その数例をあげると、松山市内で八月の場合に約六〇から六五%に達しており、川之江市駅付近で約四三%、佐田岬半島で約二六%、周桑郡小松町の周辺集落で約二二%などの調査結果がある。

 風土環境の生物変化

 昭和二五年ごろから、南予地域の漁村にドブネズミの大発生があって、日振島や宇和島湾の一帯では、一躍ネズミ天国などと騒がれたことがあった(写真2―52)。一方、終戦後におけるDDTをはじめBHCなどの薬剤が導入されて、ハエ・力の撲滅運動、環境衛生モデル地区活動に画期的な威力を発揮し、婦人会や青年団活動の隆盛の一原因とさえなった。南予沿岸のドブネズミの駆除に対しても、当初はフラトールなどの猛毒が使われたため、多くの天敵鳥獣まで殺したこともあった。やがてこの大騒動も、殺鼠剤のみにたよらない方法で環境整備が進み、また、餌になったイモ作のミカン栽培への転換、イワシ漁の衰退などによって、さしもの鼠禍も昭和四〇年ごろから鎮静化してしまった。
 さらに生物学的に特記すべきものに、昭和三〇年ごろから行われた佐田岬半島一帯の風土病であるフィラリア病の撲滅事業がある。これはミクロフィラリア捕虫者の検出と、スパトニンによる患者の治療、それに媒介蚊の駆除努力がむくいられて、ほぼ一〇年たった昭和四〇年ごろには、一応絶滅の状態に追いこむことができた。この業績は世界的にも高く評価されている。愛媛県の風土病で除去対策の進んだものには、モクズガニによる肺臓ジストマ症、ドブネズミなどから感染するワイル氏病などもよく知られている。当時の昭和四一年ごろからは、おくればせながら日本でも、DDTやBHCをはじめ、農薬の残留性が社会問題化し、それらの使用制限をはじめ、環境問題が認識され改善に向かった時代である。
 このほかに県内での重大な環境問題で社会的な反響をよんだものに、昭和四八年ころから起こってきた、マツノマダラカミキリの媒介するマツノザイセンチュウ病によるマツ枯れの大発生がある(写真2―53)。

図2-53 戦後四国でカワウソが捕獲され、死体発見のあった地点(森川原図)

図2-53 戦後四国でカワウソが捕獲され、死体発見のあった地点(森川原図)


図2-54 愛媛県の生物関係の天然記念物位置図(森川原図)

図2-54 愛媛県の生物関係の天然記念物位置図(森川原図)


図2-55 愛媛県の海岸線改変状況

図2-55 愛媛県の海岸線改変状況