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愛媛県史 地誌Ⅰ(総論)(昭和58年3月31日発行)

9 西部および南部の山地

 西部の山地と佐田岬半島

 松山平野の南側から佐田岬半島のつけ根付近まで出石山地が連なっている。牛ノ峰(八九六m)、壷神山(九七一m)、出石山(八一二m)などを連ねる山地で、北側斜面の大部分は伊予灘に直接落ち込んでいる。この直線的な海岸線は中央構造線の活動と深い関係があり、付近一帯は典型的な断層海岸として知られている。松山平野の南縁部ではこの山地の前面に低い丘陵が発達し、平野との境界には伊予断層や郡中断層などの活断層が北東~南西方向にのびている。
 肱川はこの山地を横断して伊予灘に注いでいるが、その流路は山地が形成される前のままの位置にあり、次第にもち上がる山地を削りながらその流路を保ちつづけている。このような河川を先行河川とよび、その谷を先行谷という。
 佐田岬半島は、伊予灘から豊後水道にかけての地域が沈んだ際に、出石山地の延長部にあたる稜線部が水面上に頭を出しつづけて半島となったものである。半島にはいくつかの湾があって、その位置には地域性がある。半島のつけ根と先端付近では南側に、中央部では北側に湾がよく発達しており、つけ根と先端の部分では南側が沈降し、中央部では北側が沈むような地塊の運動があったと考えられる。
 これらの湾の入口付近には波や沿岸流によって運ばれた砂や礫が堆積し、砂洲や砂嘴とよばれる地形が形成されている。伊方町須賀や加周の集落はこのような砂洲の上に形成されたものであって、加周では湾の部分が閉ざされて亀ヶ池とよばれる大きな池となっている。瀬戸町三机にも鉤状をなす砂洲が発達している(写真2-30)。

 南部の山地とカルスト地形

 更に南側の地域には、宇和海につき出す形で蔣渕(三浦)半島をはじめ、由良半島・西海半島などの細長い半島や、日振島・戸島・九島など多数の島が分布する。湾の奥には小規模な低地が発達するが、八幡浜や宇和島の市街地などはこのような低地に立地したもので、低地の部分が狭いため、埋め立てが盛んにおこなわれている(写真2-31)。
 山地としては神南・御在所山山地、法華津山脈、高月・篠山山地などがあるが、全体として北西――南東方向および東西方向に配列する傾向を持っている。これらの山地のうち、高月・篠山山地の北部には新生代第三紀(六五〇〇万年前~二〇〇万年前)の火成岩である花崗岩類が分類していて、吉野川の支流目黒川には景勝地滑床溪谷がある。
 また、野村町大野ヶ原から地芳峠を経て五段高原に至る地域一帯は石灰岩地域特有のカルスト地形が発達している(写真2-32)。石灰岩地域では、雨水などが石灰岩の割れ目から地下に浸透して石灰岩をとかしてしまうため、地表部にすりばち状の凹地(ドリーネ)や石塔原(カッレンフェルト)とよばれる岩の露出した地形をつくったり、地下に鐘乳洞とよばれる空洞をつくったりする。大野ヶ原の小松ヶ池はドリーネとよばれる凹地に水がたまったものであり、付近には羅漢穴など多くの鐘乳洞も存在する(写真2-33)。