データベース『えひめの記憶』
愛媛県史 地誌Ⅰ(総論)(昭和58年3月31日発行)
7 氷河時代の到来と海面の変化
氷河時代の到来
四五億年におよぶ長い地球の歴史には、過去何回かの氷河時代が存在したことが知られている。これらの氷河時代のうち、人類が出現し、進化した第四紀のものは、規模も大きく、氷河作用や氷河周辺の地形形成作用をはじめとする各種の環境変化の結果が、現在でも各地に残っている。特に、今から約二万年前に最盛期を迎えた最後の氷期(ヨーロッパではヴュルム氷期、北米ではウィスコンシン氷期とよばれている)には、ヨーロッパ北部や北アメリカの五大湖周辺以北の地域などが厚い大陸氷河におおわれた。
日本では平均気温が現在より8度Cほど低くなり、本州中部の日本アルプスや北海道の日高山脈には小規模な氷河が形成された。四国地方では三〇〇〇m級の山が存在しないため氷河の発達はみられなかったが、気温が低くなるにしたがって植生が一変した。現在、シイ・カシなどの温帯照葉樹林がみられる海抜六〇〇m以下の地域では、ブナなどの冷温帯落葉広葉樹林がひろがり、現在の東北地方北部のような景観となっていた。更に、それより高い地域では、トウヒ属やツガ属などの亜寒帯性針葉樹林が広く分布し、現在の北海道北部のような状態になっていた。
瀬戸内海の陸化
一方、地球上の水が氷河として陸上に蓄積されて海への水の供給が減ったため、最終氷期(ヴュルム氷期)最盛期には海面が現在より一四〇m近く低下した。この一四〇m近い海面 の低下は、海岸線をはるか沖合へ移動させ、水深一四〇m以浅の部分を陸地とした。(図2-11)。
四国の周辺では瀬戸内海や豊後水道・紀伊水道が陸化し、四国と中国・近畿・九州とが陸続きになった。その結果、陸化した瀬戸内海の底には、近畿・中国・四国・九州の各地から流れ込む諸河川を集めた大河川が流れ、燧灘をはじめとする灘の地域(沈降域)にはいくつかの盆地が形成された。
瀬戸内海地域における分水界は香川県の坂出と高松との間の沖合にあったと推定されており、それより東側の地域では、岡山県を流れる旭川や吉井川、徳島県の吉野川、大阪府を流れる淀川、和歌山県を流れる紀ノ川などが合流し、紀伊水道の南で太平洋に注いでいた。西側の地域では、燧灘において国領川や加茂川・中山川などの東予を流れる河川の延長部分と、北からの高梁川・芦田川などの延長部分とが合流する。合流後の河川は来島海峡付近の峡谷部をぬけて西側の伊予灘方面へ流れる。陸化した伊予灘の地域では、北からの太田川の廷長部分、西からの佐波川や厚東川などの延長部分が合流すると共に、左岸側からは愛媛県の重信川や肱川の延長部分が合流し、豊予川とよばれる大河川となって豊後水道を南下していた(図2-12)。
第四紀更新世の時代になると、現在われわれが目にする地形が形成されつづけ、河川によって運ばれた土砂により、扇状地や三角洲などの沖積平野がつくられる。その後、更新世末期になると、海面変化や地殻変動などによって、それらは開析されて、開析扇状地や洪積台地となる。次の後氷期になると、更に新しい堆積物が堆積して、現在の沖積平野が形成されたのである。