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愛媛の祭り(平成11年度)

2 伊予灘に浮かぶ島の祭り

 喜多(きた)郡長浜(ながはま)町青島は、長浜町沖13.5kmの伊予灘に浮かぶ周囲4.2kmの小さな島である(図表1-2-5参照)。青島は、以前は沖(おき)の水無瀬(みなせ)または馬島といった。寛永(1624~44年)のころ、大洲藩は島にウマを放って飼育場とし、役人一人が世話のため往来するのみであった。寛永13年(1636年)、播州坂越(ばんしゅうさごし)村(現兵庫県赤穂市坂越)の与七郎という者が西国に出漁の際、馬島周辺でイワシの大群を発見し、網を投げ入れてみたところ大漁であった。その後しばしば、馬島付近で網を投げ入れてみたが、いつも予想以上に大漁であったので、大洲藩の許しを得て、寛永16年(1639年)に一族郎党16軒を引き連れて馬島に住みついた。寛永17年に藩主が、鹿狩りにこられ、シカ10頭を生け捕るなどしてたいそう喜び、南方よりこの島を見ると松樹等が青々と見えたので馬島を青島と命名した(⑥)。
 現在(平成11年)青島の人口は56人である。昭和初期が最も人口が多くて800人以上いた。昭和30年(1955年)までは800人台を維持していたが、その後島の人口は急減していった。小学校は昭和53年(1978年)に廃校となり、今は子供や若者はいない。

図表1-2-5 青島周辺図

図表1-2-5 青島周辺図