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愛媛のくらし(平成10年度)

(1)秋の気配

 ア 石神様

 立間尻(向山)の犬尾(いぬび)城(*24)山腹に石神(いしがみ)様という小さな祠がある(写真1-3-30参照)。ここは耳の神様とされ、祠の前には穴のあいた石が供えられている。9月9日は石神様の祭りで、古くは子供相撲や義太夫(浄瑠璃(じょうるり)の一派)が行われていたと言われる。現在、小学生によって行われているたいまつ行列を中心に、祭りの様子を**さんに聞いた。
 「石神様は毎年9月9日がお祭りです。昔からこの日には、農家の虫除(よ)け供養、豊作祈願としてたいまつ行列が行われていましたが、昭和44年(1969年)に一時途絶えました。それを、昭和59年(1984年)に吉田公民館の行事として復活させ、以来、毎年小学生によって続けとるんです。
 子供たちには夜の7時ころに公民館に集まってもらい、それから石神様まで行きます。そこでたいまつに火をつけてもらい、国安川沿いに1時間くらい歩いて、最後は石神様の下まで戻って、たいまつを消してお菓子を配ってもらって解散です。
 たいまつ行列は、吉田小学校の3、4年生を対象に吉田公民館で行っている『緑の広場』という行事の一環として実施しているもので、参加する子供は、まあ、20人前後です。地元の煙硝蔵(えんしょうぐら)、向山の子供らはだいたい全員参加で、保護者にも出てもらいます。また、『緑の広場』を指導するボランティアも5、6人来てもらっています。地元の方で、一緒に歩かれる方もおられます。
 たいまつは、以前は、青竹の先を割って、そこに肥松(こえまつ)(やにの入った松材)をはさんで燃やしていました。肥松は、古い家などを壊すときに柱をもらってきていたんですが、最近は、それがのう(なく)なってきたんで、青竹の先に空き缶を入れて、その中で、灯油をしみこませたドンゴロス(麻袋)を燃やしています。たいまつの長さは1mほどで、大人が持ってちょうどいいくらいですから、子供にはちょっと大きすぎるかもしれません。子供たちの中には、こわごわ持つ子もいますが、けっこうおもしろそうにしています。3年、4年と2年続ける子が多いですね。たいまつは、作りおきのものが毎年使えるんで、直前に準備したんで間に合います。地元では、お参りの人の足もとを明るくするように、各家が1個ずつあんどんを作って道に立てています。わたしたちはそれにはかかわっておりませんが、こちらの準備の方が大変じゃないでしょうか。」

 イ 姫宮様

 旧暦9月16日は大工町にある姫宮神社(姫宮様、写真1-3-32参照)の祭りの日である。ここは、石城(せきじょう)(*25)落城の際に火中に身を投じたといわれる土居一族の妙栄尼(みょうえいに)の霊を祀っており、現在は火除けの神様として崇(あが)められている。祭りの世話をした経験をもつ**さんに聞いた。
 「姫宮様のお祭りは、わたしらの子供のころからずっと伝わっとる行事なんです。昔、わたしが子供のころに言われていたのは、『姫宮様は大事にせにゃいかんのよ。火の神様で、大工町に火事をもたらさんためのものやけんね。』ということでした。
 お祭りは、仲秋の名月(旧暦8月15日)の次の日(平成10年は10月6日)と昔から決まっとるんです。この日は、子供からお年寄りまで、大工町中の人がお参りをして、お祓いをしてもらいます。最近は、ようお参りしないお年寄りも出てきましたが、姫宮様を大切に思う気持ちは、今も変わらず持っておられるようです。
 当日は、午後から神主さんに来ていただいて神事をします。神主さんに祝詞(のりと)をあげてもらい、地区の役員さんがサカキ(玉串)を奉納するんです。そのあと、神様の前でおこもりをします。昔はお重にお弁当を詰めてきて、それを開いたりしていまして、それが楽しみでした。今はすぐ下の集会所でやるようになりまして、お弁当も仕出しに変わりました。子供さんにはお菓子を配ったりしています。
 お祭りのお世話は今は当番制になっています。大工町の場合は町内に四つの班がありまして、それが半分ずつ当番を務めますので、8年に一度回ってくることになります。当番は、お供え物をそろえたり、掃除をしたり、主に夜の行事ですから提灯をつるしたりして準備をします。また、神主さんの送り迎えやあとのお接待などもあります。大工町に住んでいて、今は町外に出られている方に御案内をかねてお札をお送りするのも当番の務めです。当番制になりましたので、確実に次の当番に受け継いでいかないと、だんだんとわからなくなっていく心配があります。ですから、毎年ノートに記録を残して、それを引き継ぐようにしています。そうしておれば、姫宮様のお祭りが大工町から完全に消えるということはないと思っています。」


*24:吉田湾頭、標高130mの地にそそりたつ中世の山城。旧吉田町を一望におさめる要害の地に築かれ、難攻不落をほこっ
  たこの城は、当初、法華津氏の本城であったといわれるが、法華津の地に本城が築かれたのちは、石城などとともに支城の
  一つとなった(②)。
*25:御殿内の北、標高121mの山頂に位置する中世の山城。法華津支城の一つで、土居清宗(宗雲)の居城であったが、永
  禄元年(1558年)、九州の大友勢の攻撃を受けて落城した。清宗の夫人が妙栄尼、三男清春の子が『清良記』で知られる
  土居清良である(②)。

写真1-3-30 石神様

写真1-3-30 石神様

平成10年12月撮影

写真1-3-32 姫宮様

写真1-3-32 姫宮様

平成10年11月撮影