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愛媛のくらし(平成10年度)

第3節 まちのくらし

 本節は、藩政時代、伊達氏9代にわたって3万石の陣屋町として繁栄し、今も町内にその面影をよく残している北宇和郡吉田町(旧吉田町(*1))に焦点を当てて(写真1-3-1参照)、そこで展開される日々のくらしや年中行事等を明らかにしようとした。
 一般に、まちはむらとは異なる社会構造をもつと考えられる。たとえば、むらは同一の生業形態をもち、強い共同体意識のもとで単一の社会が形成されがちであるが、まちは多くの生業形態をもち、それらが日常的に分立して活動していることから、社会構造は重層的なものになりやすく、文化の創造や伝承の単位も多様である。そこで今回の調査では、家(血縁)、職業集団、地域集団(地縁)、文化集団(信仰集団も含めて)等を対象にして、現在も続いているしきたりや行事だけでなく、すでに消滅したものについても聞き取りを実施した。調査に際しては、広く対象地域全体にわたる普遍的なものを対象にするように努めたが、聞き取り調査という手法上、特定の家にかかわるものもかなり混在していることをあらかじめ断っておきたい。
 本節の構成については、陣屋町吉田の1年のくらしを再現するという視点に立って、「新年」「春」「夏」「秋」「歳末」という歳時記的な形にした。
 なお、今回、話を聞いたのは、次の皆さん方である。本節の構成上、最初に簡単な肩書や聞き取りの際の立場等を付して、一括して紹介することにする(本節登場順。住所については、皆さん吉田町であるので、はん雑になることを避けて、「北宇和郡吉田町」を省略した。)。
 **さん(魚棚  昭和7年生まれ 66歳) 酒店経営、吉田町神社総代会長
 **さん(魚棚  明治42年生まれ 89歳) 町内の古老
 **さん(立間尻 昭和6年生まれ 67歳) 印刷会社経営
 **さん(立間尻 昭和7年生まれ 66歳) 主婦
 **さん(本町  昭和3年生まれ 70歳) 薬局経営
 **さん(本町  昭和5年生まれ 68歳) 主婦
 **さん(本町  昭和19年生まれ 54歳) 和菓子店経営
 **さん(東小路 昭和18年生まれ 55歳) 華道・茶道教授、町商工会婦人部長
 **さん(東小路 昭和9年生まれ 64歳) 吉田公民館長、婦人会長
 **さん(立間尻 昭和17年生まれ 56歳) 一乗寺住職
 **さん(東小路 昭和6年生まれ 67歳) 書店経営
 **さん(御殿内 昭和23年生まれ 50歳) 俳句会主宰者
 **さん(本町  大正15年生まれ 72歳) 米穀店経営、大信寺総代長。
 **さん(裡町  昭和8年生まれ 65歳) 長福寺住職
 **さん(北小路 昭和27年生まれ 46歳) 衣料品店経営、吉田町商工会長
 **さん(東小路 大正15年生まれ 72歳) 鮮魚店経営
 **さん(本町  昭和14年生まれ 59歳) 呉服店経営、前吉田町商工会長
 **さん(立間尻 昭和13年生まれ 60歳) 石油店経営、峰住神社総代長
 **さん(本町  昭和12年生まれ 61歳) 写真スタジオ経営
 **さん(御殿内 昭和34年生まれ 39歳) 吉田公民館主事
 **さん(東小路 昭和16年生まれ 57歳) 日本舞踊グループ代表
 **さん(立間尻 昭和22年生まれ 51歳) 元町亥の子宿責任者
 **さん(立間尻 昭和23年生まれ 50歳)     〃
 **さん(立間尻 昭和28年生まれ 45歳)     〃
 **さん(立間尻 昭和34年生まれ 39歳)     〃
 **さん(東小路 昭和9年生まれ 64歳) 米穀店経営


*1:今回の調査では、明治21年(1888年)の町村制によって誕生した吉田町(旧吉田町)に該当する東小路・西小路・北小
  路・本町・魚棚・裡町の6か町のほか、藩政時代の区画を考慮して、立間尻村の一部(立間尻・御殿内・煙硝蔵・向山)を
  加えた範囲を調査対象地域とした。なお、昭和30年(1955年)3月1日に、吉田町(昭和13年立間尻村を編入)、玉津
  村、立間村、喜佐方村、奥南村及び高光村の一部(知永)が合併して、現在の吉田町ができていることから(①)、本節では
  原則として、明確に区別できる箇所については、調査対象地域の旧吉田町一帯を「吉田」、現吉田町を「吉田町」と表記す
  るように努めた。

写真1-3-1 陣屋町の面影

写真1-3-1 陣屋町の面影

北小路にて。平成10年12月撮影