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えひめ、昭和の記憶 ふるさとのくらしと産業Ⅶ -東温市-(平成26年度「ふるさと愛媛学」普及推進事業)

第2節 山と里の生活

 昭和31年(1956年)、周桑(しゅうそう)郡中川(なかがわ)村から明河(みょうが)地区の一部とともに川内(かわうち)村に編入された滑川(なめがわ)地区では、肥沃(ひよく)な土壌が樹木の生育に適しているため、大正初期から造林が始められた。薪炭は豊かな森林資源を活用して戦前から盛んに生産され、年間製炭量は1万貫(37,500kg)であったといわれる。戦争により、その生産は一時中断したものの、戦後の混乱期に現金収入を得る手段として生産が再開され、昭和20年代の後半には1万俵以上の木炭を生産し、昭和30年代にガスが普及し始めるまでの間、地区の経済の基盤となる産業であった。
 一方、旧拝志(はいし)村下林(しもはやし)地区は、昭和31年(1956年)に、北吉井(きたよしい)、南吉井(みなみよしい)両村との合併により、重信町の一部となった。下林地区が位置する重信川南岸流域は、地味肥沃な田畑を形成しており、米や麦の栽培を中心とした純農村地帯であった。昭和30年代前半までは、耕作に牛を用いる牛耕が見られ、町内でも多くの農家が牛を飼育し、その頭数は千頭を超えていたが、昭和35年(1960年)以降、急激に普及し始めた耕耘機(こううんき)等により、農作業の近代化が進み、昭和40年代になると、田を耕作する牛の姿はほとんど見られなくなった。
 本節では、旧川内町滑川地区のくらしと山間部での炭焼きを中心とした産業について、Aさん(昭和4年生まれ)、Bさん(昭和6年生まれ)、Cさん(昭和9年生まれ)、Dさん(昭和12年生まれ)、Eさん(昭和16年生まれ)に、旧重信町の重信川南岸でのくらしと牛耕を中心とした農業について、Fさん(昭和7年生まれ)、Gさん(昭和23年生まれ)、Hさん(昭和24年生まれ)、Iさん(昭和48年生まれ)から、それぞれ話を聞いた。