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えひめ、昭和の記憶 ふるさとのくらしと産業Ⅴ -愛南町-(平成25年度「ふるさと愛媛学」普及推進事業)

第5節 船越の町並み

 愛南(あいなん)町西海(にしうみ)地域(旧西海町)は、南宇和(みなみうわ)郡の南西端にあり、御荘(みしょう)地域と城辺(じょうへん)地域(旧御荘町と旧城辺町)の南部を西方に突き出た半島中部から南に伸びる西海半島に位置する。旧町域の大部分を占める西海半島の中央には権現山(ごんげんやま)(490.7m)を主峰とする小高い山が連なり、そのまま海岸へ急傾斜をなしているため平坦地が少ない。江戸時代は宇和島(うわじま)藩領の外海(そとうみ)浦に属していたが、明治14年(1881年)に分村して西外海浦となり、その後、明治22年(1889年)施行の町村制により西外海村となり、昭和27年(1952年)に町制を施行して西海町となり、平成16年(2004年)に合併して愛南町となるまで、海に沿った16の集落からなる行政区画は変わらなかった。
 古くから漁村として発達した西海地域は、昭和31年(1956年)の職業別戸数調査をみても、「漁業を主とし農業を従とするもの」が全体の約 53%を占めて最も高く、漁業が主産業であったことがわかる。その中でも、昭和30年(1955年)の漁業種類別年間漁獲高ではイワシ網が全体の約87%を占めており、昭和30年ころには、イワシ網が地元経済の一翼を担っていた(①)。その西海地域も、その後は、ハマチ養殖をはじめとした水産業と並び、鹿島(かしま)を中心とした宇和海(うわかい)海中公園(昭和45年〔1970年〕にわが国初の海中公園に指定された。)や「美しい日本の歴史的風土100選」(財団法人古都保存財団)にも選ばれた外泊(そとどまり)「石垣の里」などを訪れる人や、磯釣(いそづ)り客などを対象とした観光・レジャー産業が盛んとなった。
 船越(ふなこし)は、西海半島の頸部(けいぶ)に当たる地峡(ちきょう)(二つの陸地を結ぶ狭い陸の部分)にある。なだらかな丘の上から東の船越湾に向けて開けた集落には、旧西海町役場をはじめとした官公署が置かれていた。西海地域で最も広い集落である福浦(ふくうら)は、戸数や人口が船越と同程度であるが、昭和27年(1952年)ころの商店の数を両集落で比較すると、船越には、福浦の約3倍の34軒の商店が密集していたという(②)。船越は、漁業の町であるとともに西海地域の政治と経済の中心地でもある。
 船越の昭和30年代前後の景観やくらしについて、Aさん(昭和6年生まれ)、Bさん(昭和14年生まれ)、Cさん(昭和21年生まれ)、Dさん(昭和22年生まれ)から話を聞いた。