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愛媛の景観(平成8年度)

(1)かやぶきに魅せられて

 **さん(松山市小坂 大正6年生まれ 79歳)
 豊かな自然を背景にしたかやぶきやわらぶきの民家のたたずまい、それは懐かしい村の原風景であった。全国的にかやぶきやわらぶき屋根の家屋が姿を消していったのは、1970年代すなわち昭和40年代後半から昭和50年代前半にかけての時期であると言われているが、ちょうどそのころかやぶきの民家に魅せられた人がいた。**さんがその人である。
 「わたしは画題を求めて田舎を回りました。当時はまだかやぶきの古い民家がたくさん残っていて、これはすばらしい文化だと思い、いい画題になると思いました。今から20年くらい前のことです。よく訪れたのは、久万町の直瀬(なおせ)や畑野川、川内町の滑川(なめかわ)や明河(みょうが)の九騎(くき)です。かやぶきの民家でまとまっている集落もあり、特に滑川のかやぶき集落の景観は見事でした。ところが、その後古い民家が一軒また一軒と無くなっていく。訪れる度に廃屋が増えている。この間まで建っていた民家をもう一度見に行くとすでに廃屋になっているということもありました。わたしは古い民家を大切にしてほしいと願っていたのですが、なかなか思いどおりにはいきません。住んでいる人も『こんな汚い家に住んでいて恥ずかしい。』と言い、できれば早く壊したいと思っているようでした。そこでせめて後世のために描き残しておこうと思い、自分で言うのはおかしいのですが、一生懸命描き続けました。わたしはまじめに民家を描いてきたと思っています。」
 **さんの民家の絵は写実的で実に細密に描かれており、それぞれの地域の貴重な資料でもある。
 ところで古い民家の現状はどうなっているのだろう。
 「今でもぽつりぽつりとかやぶきやわらぶきの民家が残っていますが、わたしに言わせると、ただ残っているだけという感じがしてなりません。かやぶきやわらぶき屋根のよさはその温かみにあります。トタンで覆うと値打ちがなくなる。維持が大変だということはよく分かるが、トタンにするとよさが失われ、魅力がなくなります。総じて最近の民家は、たとえ外見がかやぶきの民家であっても情緒がありません。家族の便利で快適な生活だけを追求して改造をしているからです。縁側にはサッシが取り付けられ、外部と遮断されている。そこには昔のような縁側の生活がない。農作業から帰り、そのままの姿で縁側に腰かけて一服する、縁側で近所の人と茶をすすりながら世間話をするというようなことがなくなってきた。昔の民家にあった開放性がなくなりました。サッシを見ると共同体としての村のよさまでもなくなったのではないかと思います。さらにブロック塀になったり、蔵が取り壊されたりしています。蔵一つ無くなっても殺風景になります。庭も自動車の出入りに便利なように直し、昔のような農家のかど(前庭)らしさが失われています。かやぶきの民家の魅力は単にその建物だけでなく、それを含む屋敷全体のたたずまいにあるのです。もっと言えば、屋敷を取り巻く環境にも影響されると思っています。先般見に行った畑野川の家も大屋根のかやぶきは残っていましたが、周囲はブロック塀にしてしまい、庭も自動車がすっと入り込めるようになっていて、趣きがなく、本当に残念だと思いました。生活様式の変化に伴い、昔のままの家でくらせといってもそれは無理な話です。改造はやむを得ないが、なるべく建物や屋敷全体の雰囲気を残す工夫をしてほしいと思います。
 一方、過疎化の波に押し流され、改造どころか廃屋になり、やがては消え去っていく古い民家もあります。『わしはここがいいのだが、息子はまちへ出たいと言うし、出るとなるともうこの家を改造して住むこともできない。この家はわしらの代で終わりです。』というお年寄りの言葉からもそれをうかがうことができます。」
 山村を愛し、かやぶきの民家を描き続けた**さんの今の心境は複雑である。