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河川流域の生活文化(平成6年度)

(3)松山側候所開設以来の降雨量

 『松山工事四十年史(⑩)』によれば、洪水時の降雨量を、明治23年(1890年)松山測候所開設以来のものとして、7月21日17時ころより24日に至る4日間の連続豪雨により、松山市の降水量が539.6mmに達したと記述している。
 また、洪水の概況は次のようである。
 「今次の洪水は土佐沖より北上した台風(740~748mmHg〔986~997 hPa〕)の影響によるものであるが、その進行速度は極めて遅く停滞状態となったため7月21日より24日に至る4日間豪雨が続き、松山地方の年平均雨量の5ヵ月分に相当する540mmの雨量を見るに至ったものである。洪水は23日朝に至り松前町出合橋量水標で6.20m(*6)(現量水標に換算零点高(*7)4.0m)を示し、午前9時北伊予村(現伊予郡松前町)徳丸地先の左岸堤防が決壊し、続いて6か所が決壊、耕地の流失・埋没1,730町歩(1,730 ha)、家屋の浸水約12,500戸の被害を見るに至った。その他の人畜、道路、鉄道に及ぼした被害も莫大なものであった。」とし、浸水区域が重信川左岸中心であったことを示す。
 なお、被害区域は1府11県(愛媛、広島、山口、宮崎、大分、岡山、高知、徳島、鳥取、島根、兵庫県及び大阪府)にわたり、愛媛県の被害が最も大きく、広島、山口、宮崎、大分、岡山、高知の各県がこれに次ぐものであった。


*6:警戒水位が2.8m地点であるから、それを3.4m越えた水位になる。
*7:量水標の目盛が0のところ。