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河川流域の生活文化(平成6年度)

(1)アユ解禁に胸はずむ

 **さん(西条市中野  大正11年生まれ 72歳)
 **さん(松山市高岡町 大正11年生まれ 72歳)
 **さん(大洲市大洲  昭和14年生まれ 55歳)
 **さん(大洲市大洲  昭和25年生まれ 44歳)
 毎年6月1日、アユ漁の解禁となる午前5時を期して、県内の河川では、早朝から釣りマニアや網を打つ人々でにぎわいを見せる。今年(平成6年)は極端な雨不足で、河川の水量が少なく、漁協関係者をはじめ釣りファンをやきもきさせた。それでも、県下の主要河川のうち、面河(おもご)川漁協管内(組合所在地美川村)の面河川流域では、アユ解禁の前日から徹夜組の釣り人がやってきた。加茂川漁協管内(組合所在地西条市)でも、松山方面からマイカーでおしかけ、河川敷の駐車場は満杯であった。釣りマニアが腰まで水につかり、ドブ釣り(疑似餌の毛針使用)の長いさおの放列ができていた(写真1-2-1参照)。
 重信川漁協管内(組合所在地松山市)では、午前5時の花火を合図に、重信川の出合橋下流で投網(とあみ)を打つ人々が一斉に川に入った。肱川漁協管内(組合所在地大洲市)でも、解禁とともに肱川の五郎付近や菅田(すげた)では、網を打つ熱心なマニアの姿が見受けられた。
 6月1日の解禁日は、漁協に所属する組合員の川漁も見られたが、大多数は釣りマニアの太公望(たいこうぼう)たちである。組合では役員が中心になって、遊漁承認証の確認や販売をしたり、遊漁者に楽しんでもらうため、河川内でのトラブルを防ぐため巡視を行ったりした。
 昔はどの河川にも川漁師として生計を立てていた人がいたが、今はいない。技術の差はあっても、組合員も遊漁者も趣味と実益を兼ねるという点では一致している。アユ解禁に胸ふくらませ、釣り仲間とさおや針の良否を評定し合い、釣りの成果に一喜一憂する姿は今も昔も変わらない。
 平成5年度の県内の遊漁承認証の発行枚数4,759券のうち、年券が3,852券で全体の80.9%を占めている。

 ア 育て、増やし、取る漁業

 愛媛県には図表1-2-1に見られるように15の内水面漁業協同組合が組織されている。組合員数は平成4年度で10,695人(正組合員9,715人、準組合員980人)で、正組合員が全体の90.8%を占めている。
 15の漁業協同組合のうち、組合員数では県下最大の流域をもつ肱川の肱川漁協が全体の35%、肱川上流漁協が17.7%で二つを合わすと52.7%を占めることになる。ついで面河川漁協の17.6%、加茂川漁協の5.2%、重信川漁協の4.7%、広見川漁協の3.9%の順になっている。
 各河川で営まれる川漁は、昔は川をそ上したり、産卵のため川を下る魚や力二、陸封性の魚など天然のものを採捕してきた。第二次世界大戦後、内水面漁業協同組合の設立とともに、『愛媛県内水面漁業調整規則』を定めている。規則第1条に「この規則は、漁業法(昭和24年法律第267号)及び水産資源保護法(昭和26年法律第313号)その他漁業に関する法令とあいまって愛媛県における水産資源の保護培養、漁業取締りその他漁業調整を図り、あわせて漁業秩序の確立を期することを目的とする。(①)」と定められ、運営されている。

 (ア)市街地の川にアユが泳ぐ夢

 加茂川漁業協同組合の場合、昔は天然そ上の魚類を釣りや網で採捕してきた。組合設立後は、魚の放流や養殖に積極的に取り組んでいる。
 組合長である**さんによれば、「加茂川のアユの放流を始めた最初のころは、琵琶湖産の稚魚を直接買いに滋賀県まで出掛けていた。稚アユは滋賀県漁連が直接管理していた。三拝九拝してやっと分けてもらう時代で、購入の際は容器の中の稚魚は水の量と一緒に計量されていた。だから水の入れ方次第で、実際の稚アユの量には大きな差があった。日通のトラックで直接加茂川に運び、そのまま放流していた。当時は追跡調査もしなかったので、放流したアユが育っているのか、死んでいるのか分からない状態であった。
 昭和45年ごろから、琵琶湖産の稚アユを徳島県で中間飼育をはじめ好成績をあげるようになってきた。徳島県には北部、中部、南部の3ケ所に飼育場があり、加茂川は南部の阿南から購入している。琵琶湖産の稚アユは病気が出やすい。徳島に持ち帰った稚アユは薬剤処理して、3gくらいに成長させたものを購入している。加茂川漁協では、徳島で中間飼育された湖産アユと、愛媛県産の人工ふ化のアユを放流している。そのほかに組合自営の養殖場を持っている。昭和59年(1984年)に、西条市兎(と)ノ山地区にアユの養殖場を作った。現在の養殖規模は15,000匹であるが、9月から10月にかけて一部を加茂川に放流したあとの親アユから、10月18日前後採卵している。横30cm、縦40cmの木枠にシュロ皮の繊維を張り、これに採卵した卵を付着させて、加茂川河ロの沖の海につける。約2週間でふ化し、春になり加茂川にそ上させる事業で県下の漁協では加茂川が最初である。その他、アマゴ、ニジマス、コイ、ウナギの放流も実施している。」
 組合自営のアユ養殖以外に、**さん個人もアユ養殖をやり、自宅には2槽の養殖池を持っている。これは組合の養殖が採卵用であるのに対し、組合員や遊漁者の友釣り用のアユを供給することを目的としている。加茂川だけでなく銅山川へも毎年出荷している。
 アユを取る漁法は他の河川と大差はないが、網漁では引網(綱の長さ23mから25m綱丈は1mから1.2mで、川の中にくいを打ち綱を張りアユを取る。一種の刺綱。別名小高綱ともいう。8月1日解禁。)、すくい網(綱の大きさは1mから1.2mでタマゴ型の綱で、綱を左手に持ち右手でアユの進路をさえぎり、タマ綱の中に追い込む。追取ともいう。7月1日解禁。)がある。引網は8月1日解禁となるが、黒瀬ダム下流から約8㎞の区間を、組合員には抽せんで、網を行使する場所を決定する。8月1日の解禁日当日だけ、その場所での操業を認めているが、以後は鑑札を持てば、遊漁者も自由に漁をすることができることになっている。ここ2、3年は天候不順で112の場所を定めているが、毎年70人ほどが抽せんに参加している。
 今の**さんは、なにかと多忙で川漁もあまりやれないのが実情である。それでも、「引網は得意で、8月から魚がおれば漁にも出る。組合長という立場から、川漁をする人に遠慮して、水深の浅いところは人に譲り、深いところでやっている。昭和26年(1951年)組合が結成された当時は46名の組合員であったが、今は554名の世帯である。昔はアユ漁以外にも、アメゴ、ウナギ、ナマズ、コイ、カニも盛んに取っていた。昔は3人ほど川漁で生計をたてていた人がいたが、今はいない。」と話される。
 **組合長は加茂川の川漁について、「今では加茂川を昔通りにすることは不可能である。それでも網打ちの一番の楽しみは、友人、知人を連れて、取れだちのアユを河原で焼いて食べることである。今は取れる量も昔の10分の1にすぎなくなった。これ以上、河川が悪くならないよう、なんとか現状維持を、市当局と協力しながら続けていく必要がある。西条は日本の名水百選(環境庁指定)の中にも入っている。西条の市街地を流れる川にもアユが泳ぐようにしたい。市内を流れる明神川は、昔から沖(海)へつながっていて、川尻にはアユが泳いでいる。漁協としても市当局に協力して、3年前から市内に流れる川にアユの放流を続けている。西条市の下水道の整備によって、市役所付近の水路にも2年魚のアユが見られるようになった。」と話された。市街地にもアユが泳ぐ、水の都として人々から愛され、親しまれる川の実現を期待するものである。

 (イ)川漁の楽しみ-釣り大会と投網大会-

 重信川漁業協同組合は、重信川流域市町村である松山市、川内町、重信町、砥部町、松前町の組合員で組織され、組合員数は504名で、県下全体の4.7%を占めている。
 **さんは、平成2年に重信川漁業協同組合の6代目の組合長に就任した。松山市高岡町の自宅が漁協の事務所である。子供のころから重信川の川漁に親しんできた人で、組合が設立された後は理事や専務を務めてきた。現在は組合員や遊漁者に、少しでも多く川漁を楽しんでもらいたいという気持ちから川漁はあまりやらなくなった。昭和30年(1955年)ころは夜川(よかわ)に出て1時間も投網を打てば4kgのアユは容易に取っていた。今でも気が向けば、重信川河口の川口大橋の上から(橋上から川底まで10m)、海からあがってくるボラ、スズキ、チヌなどを投網で取っている。そんな**さんに、重信川の川漁の現状や、組合の取り組みについて話を聞くことができた。
 「昔の重信川は今と違って、水量も多く天然のアユなどもそ上して川漁も盛んであった。昔から重信川の水は、農業用水として利用されてきたが、これは米作りの100日間だけであった。今は工業用水、家庭用水として年中重信川の地下水が大量にくみ上げられるようになった。そのため重信川に流れる上水(うわみず)も取られる結果になる。
 重信川漁協の一番の泣きどころは、川の水が河口まで連続して流れないことで、水がないのが一番なさけない。せっかく稚魚を放流しても、成長するまでに水鳥の餌になってしまう。とくに今年の異常渇水で、重信川の本流は水の流れない河原と化した。今年放流した稚魚だけでなく、50cmを超す、中には1mを超えるコイが、水の枯渇と酸欠で500匹以上死んでしまった。なんとか水のあるところにコイを移したいと努力したが、少ない人手ではどうにもならなかった。
 それでも毎年、県漁連で定めた目標量を上回って魚の放流を続けている。せっかく放流するわけだから、重信川の上流域で水のある場所を選定して放流する。この場合は漁協の役員だけでなく、地元市町村の立ち会いで放流している。
 上流に放流した効果はある。今年(平成6年)松山平野は日照りが続いたが、久し振りの雨が降った時のことである。雨が降って、水がゴウーと流れてくる。水が出合(であい)付近まで流れてきた。その時は、ウナギやカニが森松町の重信橋付近でよく取れた。雨があがると、地下水が切れているため、水は地下にしみ込んで川底が見えてくる。水のない川にウナギがはい、カニがはって、それを取ったと組合員から報告があった。これは上流に毎年放流した結果であるので、今後も放流は続けていく。」とのことであった。
 重信川の川漁に対する思いについて、**さんは、「重信川漁協は遊漁組合であって、商売を目的とする組合ではない。釣りにしても網にしても、川漁をする皆さんに喜んでもらえる、楽しんでもらえる組合にしたい。そのために、組合の運営に支障をきたさない限り、より多くの魚を放流していきたい。」と語る。
 重信川漁協では、稚魚の放流以外に、毎年6月の第2日曜日の午前中に釣り大会を、午後からは投網大会を実施している。釣り大会は出合の新大橋の上流を会場にして、あらかじめ当日のために高知から取り寄せたアユを、開始30分前に川に放流しておく。釣り大会は子供が主で、大物を釣った者に賞状と優勝旗を渡し、参加者全員にアユ15匹ずつあげている。
 午後の投網大会は鑑札を持つ遊漁者が参加する。会場は川口大橋の上流である。川の堤防上の通路には車の列が続いていた。釣り大会と同じく30分前に、水槽に生かされているアユが圧縮ポンプのホースから川に放流される。川面にアユの群れが旋回する姿が手に取るように分かる。投網を持つ人々のはやる気持ちが伝わってくる。川岸から人よりも一歩でも先に出ようとする姿勢がうかがえる(写真1-2-4参照)。午後1時花火を合図に200人を超すマニアが一斉に川に入り投網を打つ。この投網大会も1等から5等までに賞品が出る。参加賞としてバケツなどを渡し、見物に来た子供にもオモチャなどを渡している。今年は最初の1網を打って、120匹のアユを取った人もいた。
 「これらの大会に使われたアユは、高知から持ち帰った運賃を入れると1匹120円ほどになる。50匹取れば6,000円になる。鑑札は年券2,600円だから今日1日だけで十分に元はとれる。残ったアユはまた日を変えて取る。皆さんは、自分の成果に満足したり落胆したりであるが、結構楽しみ喜んでもらっている。」とのことである。
 さらに重信川漁協では、同じ松山市の湯山漁協と協議して、75歳以上の釣りを希望する人に無料の「優待遊漁鑑札」を発行している(図表1-2-4参照)。
 愛媛県ではどの河川でも、中学生以下の子供に対して、余暇の善用、健全育成という立場から釣りは無料としている。長寿社会を迎え、老人の趣味として、健康の維持増進や福祉として、75歳以上の希望者に優待遊漁鑑札を発行するということは、**組合長のアイデアである。「ただし釣りに行く場合、老人であるので足を滑らせけがでもすれば、かえって親切があだになる。市町村の担当者が鑑札を手渡す際、必ず仲間と一緒に行くよう申し添えを頼んでいる。」とのことであった。

 (ウ)肱川が育んできた川漁

 肱川漁業協同組合は、肱川本流の鹿野川ダム下流域と、肱川に注ぐ支流域の大洲市、長浜町、内子町、五十崎町、小田町、中山町、肱川町、広田村、河辺村の1市6町2村で構成され、組合員も3,740名で県下最大の組合である(図表1-2-1参照)。肱川流域はもともと一つの組合であったが、昭和34年(1959年)に鹿野川ダムが完成した時点で、ダム上流域は肱川上流漁業協同組合として分離した。
 今年(平成6年)は県下の河川が渇水で水量が極端に減り、川の流れが途中で切れ川漁は大きな損失を被ったが、肱川は県下最大の河川だけあって、他の河川のような損失はなかった。昔から川漁師で生計をたてていた人も多かったし、各種の漁法が発達してきた地域でもある。とくに、県下では独特のカジカ漁、網漁業のうち、アユを取る投網と四ツ手網に特色がある。また、落ちアユを取るための瀬張り漁も盛んである。さらに肱川の深みに生息するコイを取るコイ網や、ウナギを取るじんどう、カニ網・カニかご漁などもある。
 肱川漁協では毎年アユ、コイ、ウナギ、アマゴを放流しており、その量は県下では一番多い。どの漁協でも魚類の放流や禁漁区、禁漁期間を定めて資源の保護を図っているが、肱川でも本流及び各支流に、県の調整規則の禁止区域だけでなく、組合でも独自の禁漁区を設定し、自主規制を実施している。
 カジカ漁は肱川を代表する漁業であった。カジカについて水野信彦氏は、「愛媛県では、このハゼの仲間やその上のドンコや前記の本当のカジカなどをひっくるめて、ドンコと呼ばれている。なぜ肱川流域だけで、ハゼの仲間をカジカと呼ぶのだろうか。〔中略〕ピンピンカジカと呼ばれている4種のハゼは、いずれも肱川下流の八多喜より下流で採れる。大洲の市街地付近で採集されるカジカは、チチブ・ヨシノボリ・カフヨシノボリの3種だが、上流になるほど後の方の種が多くなる。特に中山川などの支流で採れるカジカは、大部分がカワヨシノボリである。(③)」と述べている。
 山崎武氏の『四万十川漁師ものがたり』の中にカジカ漁について面白い記述がある。「この地方(四万十川)でカジカというのは、夏から秋にかけて、中流、上流の川岸で、それこそ鹿の鳴くようにポロポロとよい声で鳴く蛙(かえる)のことである。すぐお隣りの愛媛県ではゴリのことをカジカという。
 以前、西土佐村(高知県)にある西部漁業協同組合に、愛媛側からカジカを採らせてほしいという申し入れがあった。西部漁協では例の蛙のことだと思い快く承諾した。ところが翌日になり大勢の人が手に手に、網やその他の漁具を携えてハゼ捕りを始めたので、慌てて中止を申し入れたという。笑うに笑えないようなことが実際にあった。(④)」
 肱川でのカジカ漁は、普通二人でやる場合と一人で取る場合がある。長さ27mの追縄に、サザエの殼をたくさん付けて、二人でサザエの殼を足で押さえ、水中でカラカラ音をたてて追縄を引き、音に驚いて上流に向かって逃げるカジカを、四ツ于網に追い込む漁法である。ガラガラ音をたてて引くのでガラビキ漁と呼んでいる。もう一つの漁法はイタゼ漁である。瀬のあるところへ二人で板を押して、長さ80cm、幅50cmの小さい四ツ手網で取る漁法である。
 肱川の風物詩であったカジカ漁も、今ではカジカの量も減り、専門で取る人も段々と少なくなってきた。
 なげあみ漁。県下の河川では投網(とあみ)が一般的に使用される網である。肱川でも投網も使用されるが、ほかでは見られず、肱川独特のものが、なげあみである。「とあみ」と「なげあみ」は混同されやすいので、「とあみ」は漢字の投網を当て、「なげあみ」をひらがなで表示している。なげあみの特徴は、網の下が袋状になっていて、投げた時網がふくれて、その内側にアユが入る仕組みになっていることである。投網の場合は刺し網であるので、網目の大きさとアユの太さが一致しないと逃げられるが、なげあみの場合は袋で包み込む構造になっている。「昭和24年ころまでは、平網といって、平な網であったが、袋付(ふくろつき)という網が出はじめた。袋付とは、網の下方を網の途中までつり上げて、袋状にした網をいい、袋も浅かったが、最近はこの袋になる部分と、その他の部分とが、半半位なものも出はじめた。袋付網は袋にもつれた鮎もとれ、流れの深いところで網をたぐって岸へ上げるのにも、鮎が逃げにくいのでこの網だけになった。(⑤)」となげあみのことを『肱川町誌』でこのように解説している。
 肱川漁協の**さんと**さんによれば、「肱川の場合、夜川(よかわ)と言って夜漁をする人が多い。昼間は遊漁の人である。昼間だと、餌を食べ消化してないアユを取るので、内臓の中に物が一杯で、今は川がきれいでないから、アユににおいがあったり、砂をかんでいたりで、料理屋さんは好まない。組合員の取ったアユはそれぞれ個人が、料理屋や旅館に、年間契約で買い取ってもらっている。夜漁はアユが餌を消化しているので、専業ではないが、この人たちはほとんど夜漁である。」とのことであった。
 四ツ手網(写真1-2-5参照)は畳6畳と8畳の2種類がある。漁法は船の上から網を川底に沈めておき、網の中に入ったアユを引き上げて取る。この網は高知と姫路の業者から購入している。肱川本流にも四ツ手網はあるが、本流よりも支流に残っている。今でも五十崎町の竜宮堰上流の小田川では盛んに行われている。
 つぎに瀬張り漁について。これはアユの習性を利用した漁法で、肱川の支流小田川と、肱川の上流鳥首橋上流が8月10日より解禁、本流は9月10日より解禁となる。竹を幅5cmに割り、これを川に打ち込む。竹と竹の間はアユが下れるように間隔を空けて置く。産卵のために下ってくるアユを瀬張りで脅し、投網やなげあみで取る漁法である。**さんの話では、「わたしも瀬張り漁に立ち会ったのですが、よく考えた漁法で時間を待てば、アユは必ず下りてくる。瀬張りの下に立っていて、下ってきたアユの群れを、下流から上流に向かってぱっと網が半円形に開くように投げる。アユはUターンして上流に逃げますので、その網目に首を突っ込むのです。アユは瀬張りの竹をこわがているはずだが、適当な風が吹けば一斉に下ってしまう。肱川の場合、天然そ上の期待できる川ですから、翌年の天然アユを多くするためということで、アユの産卵場も何か所か禁止区域を作って保護しています。さらに10月20日から11月1日の午前5時まで全面禁漁にしています。
 ふ化したアユは海に下る。ふ化したばかりのアユには袋が付いていて、これが餌となるが、せいぜい1週間分の餌である。できるだけ海に近い場所でふ化したものでないと生き延びられない。海に出ればプランクトンがある。
 菅田あたりでは、魚日(うおび)(アユが産卵のため多く下がってくる日)というのがあって、10月20日までにそれがあった年はニコニコ、ホクホクですが、それがない年は、12日間止めている間に見事に下ってしまう。11月1日解禁の時にはアユがいなくなり、組合に苦情がきます。」とのことであった。
 **さんは、「瀬張りの場所は、組合員に既得権を認めていますので、毎年同じ人たちが同じ場所にしています。申し合わせ事項として、瀬張りの場所はそれぞれ上流に100mは空けることにしています。」とのことである。
 11月1日の落ちアユ解禁の日、大洲市柚木(ゆのき)の臥龍山荘下の河原では、5人組の人たちがなげあみを打っていた。網にかかったアユをはずす時間がもったいないほどの大漁で、鉄棒に網を掛けて、新しい網を打つ姿がみられた。網に掛かったものは20cm以上の子持ちアユであった。

図表1-2-1 内水面漁業協同組合と組合員数の分布

図表1-2-1 内水面漁業協同組合と組合員数の分布

愛媛県農林水産部水産課資料より作成。

写真1-2-1 6月1日アユ解禁で西条市加茂川に集まった釣りマニア

写真1-2-1 6月1日アユ解禁で西条市加茂川に集まった釣りマニア

平成6年6月撮影

写真1-2-4 重信川川口大橋上流の投網大会

写真1-2-4 重信川川口大橋上流の投網大会

午後1時花火を合図に一斉に川に入る遊漁者たち。平成6年6月撮影

図表1-2-4 75歳以上の希望者に発行する優待遊魚鑑札

図表1-2-4 75歳以上の希望者に発行する優待遊魚鑑札


漁獲制限事項

漁獲制限事項


写真1-2-5 肱川の瀬張りと四ツ手網船(大洲市五郎)

写真1-2-5 肱川の瀬張りと四ツ手網船(大洲市五郎)

11月1日午前5時を期して解禁となる落ちアユを取る瀬張となげあみ。中央は四ツ手網船。平成6年11月撮影