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県境山間部の生活文化(平成5年度)

(3)高市小学校の灯を消すな

  **さん(広田村高市 大正7年生まれ 75歳)
  **さん(広田村高市 昭和2年生まれ 66歳)
 高市地区の老人会長を務める**さんと妻の**さんは、子供たちの声が高市に響くようになったのがとても嬉(うれ)しいらしい。**さんの孫は、山村留学制度ができた平成4年度に高市小学校に入学している。もしこの制度がなければ、高市小学校は広田村の他の小学校との統廃合で廃校になっていたかも知れない。その思いもあってか、センターへの協力も積極的である。留学制度の背景にある高市の移り変わりについて聞いてみた。

 林業の低迷が長いので、よう持ちこたえられずに山を見捨てた形ですなあ。荒れ放題ですよ。材木は、もう太って柱になる状態になっているが、今は1車(いっしゃ)(=4t車1台分)積んでも、杉で6~7万円、桧で20万円くらいです。自分でへたにチェーンソウなんかいらんことしよって、足でも引いたらそれこそ大変じゃから、人に頼んで切ってもらわんといかんでしょう。人夫賃払うたら元が取れんから、いやになって放(ほう)ったらかしです。前だったら、少し切ったら100万円、200万円になりよったがねえ。敗戦後は国に奨励され、皆「木さえ植えとったら、えらいもんじゃ。」言うて、どんどん植えたらこの始末です。
 林業で食っていけませんから、村に後継者が残らんのです。後継者住宅を作っても、役場・農協・森林組合などに職業のあるものはわずかですから。後継者を育てんといかん言うて「グリーンキーパー制度」で、7、8人に森林の手入れの練習をさせとるが、広田村はほとんどが山林ですから、間にも拍子もあわん。後継者がおらんと広田村そのものがつぶれそうな。
 近所でも、よそに出とる若い子らに、「おやじやおかあも、なあんちゃ、あるもんは皆売って、どげんしてもかまんけん。わしら、そげな財産くらい当てにせんけん。あまり無理難儀すなよ。」と言われて、「もう、自分とこがどうなろうと関係ない。さじなげた。」という考えらしい。残された方は、自分らが歳(とし)取ってようやらんなったら、皆そうしよるが、松山の方へどんどん出とるでしょ、子供のとこへ。それは、本人の希望ではないけども、子供がこっちい戻るわけにいかないので、好きな所じゃないけどしかたない出ていく。そういった人が早う死ぬるところをみると、あれは、精神的に非常にまいってしまうんじゃろうと思います。
 「国滅びて、山河あり」と言いますが、人口がどんどん減って、高市小学校も風前の灯(ともしび)じゃったんです。「学校は文化だから、何とかつぶさないでおきたい。」というのが高市の者の願いで、留学制度の背景です。ただ、県にも例のないことじゃから、相当な冒険だったと思いますが、お陰で、去年から来て今年も残留しとる子もおるし、評判はええと思います。