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県境山間部の生活文化(平成5年度)

(1)四国山地の焼畑農業

 石鎚山・剣山に象徴される、四国山地一帯の山麓(ろく)に点在する村々には、古くから「焼畑農耕」という、山間地特有の農法が伝承され、山のくらしの厳しさに耐えながらも、たくましく生き抜いた生活の歴史がある。
 焼畑とは、山地に生えている樹木を切り倒して一面に広げ、その生本の乾いたころに火を入れて全面を焼きつくし、その跡に残った草木灰を唯一の肥料として作物をつくる畑のことであり、ほとんど肥料を施さないので、数年間も耕作を続けていると地力が落ちて、作物の出来が悪くなる。そこでまた、別の新しい山に火を入れて焼畑をつくる生産の様式が、四国山地の農家の間では伝統的に受け継がれてきた。
 長期に及んだ焼畑農耕の生産サイクルは、原始的農法と言われながらも、山に恵まれ、山と共に生きてきた人々の、息の長いそして辛抱の伴う一つの生活様式であった。
 四国山地の調査を進めてきた篠原重則氏(香川大学教授)によると、「このような農法は、現在でも東南アジアを始め世界の各地で広くみられるが、わが国においても焼畑は縄文時代から盛んに行われ、当時のごく一般的な農法であったといわれている。また、わが国の焼畑は、北は東北地方から南は九州に至るまで、南北に広く展開していたが、昭和11年(1936年)に農林省山林局が焼畑の調査をした時点では、四国山地は全国一の焼畑地帯であり、全国77.417町歩(ha)のうち、四国の焼畑面積は、その46.4%を占めていた。」と述べている(①)。