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えひめ、昭和の記憶 ふるさとのくらしと産業Ⅱ-伊方町-(平成23年度「ふるさと愛媛学」普及推進事業)

第1章 昭和の町並をたどる

 江戸時代の佐田岬(さだみさき)半島(現伊方(いかた)町の区域)には、伊方浦(うら)、九町(くちょう)浦、二見(ふたみ)浦、三机(みつくえ)浦、三崎(みさき)浦の5か浦があった。5か浦はそれぞれ浦や浜の名がついた小さな枝浦(えだうら)(集落)から成っていて、枝浦が生活の単位となって漁業や農業を営んでいた。明治22年(1889年)の町村制施行にともなって、佐田岬半島は伊方村、町見(まちみ)村、三机村、四(よ)ッ浜(はま)村、神松名(かんまつな)村、三崎村の6か村に編成された(図表1-1-1参照)。昭和30、31年(1955、1956年)には、2か村ずつ合併して伊方町、瀬戸(せと)町、三崎町になり、さらに平成17年(2005年)に3か町が合併して伊方町になった。
 この章では、明治22年から昭和30、31年まであった佐田岬半島の旧6か村それぞれの、役場が置かれた中心集落の町並みについてまとめた。住民の方に聞き取り調査を実施するとともに現地調査を行い、それぞれ昭和30年ごろの町並み図を復元することをとおして、町並みでのくらしの一端を明らかにしようとした。


図表1-1-1 佐田岬半島の旧6か村

図表1-1-1 佐田岬半島の旧6か村