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えひめ、昭和の記憶 ふるさとのくらしと産業Ⅰ-伊予市-(平成23年度「ふるさと愛媛学」普及推進事業)

第2章 水の恵みとくらし

 平成17年(2005年)4月にそれまでの伊予(いよ)市、中山(なかやま)町、双海(ふたみ)町が合併して伊予市が誕生した。新しい市内は、本庁(旧伊予市)、中山(旧中山町)、双海(旧双海町)の三つに区分される。
 このうち、旧双海町には、江戸時代から明治時代前期にかけて、高野川(こうのかわ)村、上灘(かみなだ)村、高岸(たかぎし)村、大久保(おおくぼぼ)村、串(くし)村の5か村があった。旧中山町と同じく、比較的村の規模が大きく、村の中にある小集落が生活の単位で、現在も自治公民館が小集落ごとにある。
 明治22年(1889年)11月の町村制実施により、高野川・上灘・高岸の3か村が上灘村、大久保・串と隣接する石畳(いしだたみ)村の3か村が下灘(しもなだ)村となった(図表2-1-1参照)。当時、石畳は、交易や通婚(つうこん)などで沿岸地域と結びつきが強かった。上灘村は、大正10年(1921年)に町制を施行し上灘町となり、大正14年(1925年)一部を南山崎(みなみやまさき)村へ編入した。下灘村では、明治41年(1908年)に大字石畳が分離され、喜多(きた)郡満穂(みつほ)村(現内子(うちこ)町)に編入された。その後、昭和30年(1955年)に上灘村と下灘村が合併し、町制を施行し、双海町となった(図表2-1-2参照)。
 なお、北部の郡中(ぐんちゅう)町、南伊予(みなみいよ)村、北山崎(きたやまさき)村、南山崎村の4か町村は、昭和30年に合併して伊予市になっている。
 この章では、双海町下灘に焦点をあてて、串(くし)地区内を流れる導水路とそれをめぐる歴史や農業、昭和の農林業の移り変わりと人々のくらしを、聞き取り調査と現地調査等から明らかにしようとした。



図表2-1-1 伊予市域における明治22年町村制実施後の町村

図表2-1-1 伊予市域における明治22年町村制実施後の町村

『愛媛県史資料編近代2』(1984年)426ページから作成

図表2-1-2 伊予市域における昭和30年の合併前の町村

図表2-1-2 伊予市域における昭和30年の合併前の町村

『愛媛県地名大辞典』(1991年)1,112・1,113ページから作成